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《動くピクトグラム誕生秘話》と《予算10億の真相》〜発売中止の開会式公式プログラム拡散?どうなるオリンピック閉会式〜

ショーディレクター解任報道により、急きょ発売中止となった、幻の「開会式プログラム」。その中の、演出・小林賢太郎氏のインタビューを読んだ私は、この記事を書かねばならないと思った。インタビュー内容は後述するが、とにかく、私が知りうる限りの事実を、正確に、わかりやすく、順を追って、ここに記そうと思う。その上で、あなたなら、この問題をどのように捉え、どのように考えるのだろうか。

❶小林賢太郎、問題のコントとは

2021年7月22日、組織委員会の橋本聖子会長は、開閉会式のショーディレクター・小林賢太郎氏の解任を発表した。
理由は、1998年に発売された、若手お笑い芸人たちのコントを収録したビデオ内で、小林氏の芸人時代のコントにおいて、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というワードが使用されていたことがネットで拡散され、ユダヤ系の人権団体が抗議声明を発表。橋本会長いわく、「外交上の問題」だと述べた。

ユダヤ系の人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が抗議声明を発表したのは、「オリンピック開会式ディレクターが、過去のコント内で「ホロコーストごっこをしよう!」と、ユダヤ人を揶揄していた」と報告を受けたからだ。そのように聞けば、彼らが抗議するのは当然である。

実際、いまだ、日本のみならず、世界中で、「オリンピック開会式のディレクターは過去に『ホロコーストごっこをしよう』とジョークを言った人間」と報じている。

しかし、これは事実と異なる。

問題の1998年のコント動画を見て、海外の方への説明がとても難しい文脈だと感じた。
確かに、本来の文脈を省略してしまい、「ホロコーストごっこをしよう、と言った男」と表現してしまった方が、端的に短い文で説明できてしまう。

しかし、それは【真実】とはかけ離れているのだ。

海外の方にもできるだけわかりやすく、本来のコントの文脈を、説明してみよう。
「小林賢太郎氏は、彼の過去のコント内で、知恵の足りない設定の2人組が、架空の番組企画を考える中、『人形でホロコーストごっこをやったらプロデューサーに怒られたね』と語らうブラックジョークを用いた。」

できる限り、端的に短く表そうとしても、このコントを説明する上で、文脈として、上記の内容は削ぎ落とせない。正確に伝わるべき要点は2つだ。
(1)「怒られた」という言葉が示すように、当時から、小林賢太郎氏自身、『ホロコーストごっこ』が、あってはならないことだと認識していた。
(2)『悪いことだという常識さえも、知恵の足りない2人組はわかっていない』という、劇中の2人組(自分たち自身)を揶揄した笑いだった。

つまり、【真実】は、
「小林賢太郎は、ホロコーストを肯定する危険思想を持った人間では無い」
ということである。

もちろん、だとしても、コント内で扱うべき言葉ではなかった。当時、その配慮ができなかったことは、とても恥ずべきことであり、反省すべきことだ。
後述するが、実際、小林氏は、この後20年、反省を体現している。

ゆえに、「外交上の問題」として取り沙汰されてしまった今回の状況で、即日解任発表がなされた際も、(センシティブな問題だからこそ、組織委員会側は、精査と丁寧な説明をすべきだったが)小林氏本人は、その判断を潔く受け止め、謝罪コメントをすぐに出したのだと推察される。

しかし、このように説明の難しい文脈ゆえ、事実とは異なる(危険思想を持った人間かのような)ニュアンスのまま、ユダヤ系の人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」に連絡されてしまったことが、今回の騒動の発端だった事実を、私たちは知っておくべきだろう。伝え方一つで、事態は変わっていたはずなのだ。

解任報道後、すぐに発表された小林賢太郎氏のコメント全文を読むと、彼が、当時を反省し、潔く謝罪している文面から、彼の誠実さが窺える。

【ご指摘の通り、1998年に発売された若手芸人を紹介するビデオソフトの中で、私が書いたコントのせりふに、極めて不謹慎な表現が含まれていました。(中略)人を楽しませる仕事の自分が、人に不快な思いをさせることはあってはならないことです。当時の自分の愚かな言葉選びが間違いだったことを理解し、反省しています。不快に思われた方々におわび申し上げます。申し訳ありませんでした。】

❷小林賢太郎が、長年続けてきたこと(※追記有)

ここで、押さえるべき重要なポイントがある。
それは、小林賢太郎氏が、2021年までに歩んできた20年以上の軌跡である。
本人コメントには他に、下記も記されていた。

【ご指摘を受け、当時のことを思い返しました。思うように人を笑わせられなくて、浅はかに人の気を引こうとしていた頃だと思います。その後、自分でもよくないと思い、考えを改め、人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました。】

■『人を傷つけない笑い』を目指した20年
小林賢太郎氏は当時、テレビの世界で笑いが勢いよく消費される中で、『人を傷つける発言で笑いを取ってはいけない』と気づき、すぐに「テレビ」の世界と距離を置き、フィールドを「舞台」に移して、20年以上も『人を傷つけない笑い』を模索し、実演し続けてきた。

事実、彼は、2005年から本格的に始めたソロ活動「ポツネン」において、「『予備知識のいらない笑い』『人を傷つけない笑い』を求めたい」と表明し続けている。
《出典》KENTARO KOBAYASHI WORKS 小林賢太郎のしごと | 『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』作品紹介

また、2014年に発売された著書「僕がコントや演劇のために考えていること」の中でも、「面白くて、美しくて、不思議であるための99の思考」の一つに、『人を傷つけない笑いであること』をはっきりと明言している。
《出典》僕がコントや演劇のために考えていること : 小林賢太郎 | HMV&BOOKS online - 9784344026247

このように、小林賢太郎氏は、自ら過ちを正し、長い年月をかけて、その芸とスキルを磨きあげることで、クリエイターとして洗練されてきたのだ。

■コント動画の広告収入などを復興支援や、障がい者協会に寄付
また、小林賢太郎氏は、『人を傷つけない笑い』のコント映像100本を、公式YOUTUBEチャンネルで無料公開し、その動画の広告収入を復興支援にあてていた。
《出典》ラーメンズがコント映像100本を無料公開 広告収入は災害復興に活用 - ライブドアニュース (livedoor.com)

さらに、ソロ活動「ポツネン」動画の広告収入を日本障がい者スポーツ協会に寄付したり、西日本豪雨災害の時は、被災地に行き、グッズ売上げを寄付したりもしていたという。[※追記2021年7月29日]
《出典》Twitter引用。①ポツネン動画スクショ②西日本豪雨被災地の方

❸解任された小林賢太郎と、辞任した小山田圭吾(※修正有)

(※大幅加筆修正2021年07月28日 ※問題点をより客観的に整理)
小林賢太郎氏は、なぜ前述した20年に渡る功績を精査されず、即日解任に至ったのか。それは、「外交問題」に加え、直前に辞任した「小山田圭吾氏の件」があったからであろう。
小山田氏は、オリンピック開会式の作曲をいくつか担当していた人物だ。
しかし、小山田氏は、過去の彼のインタビュー記事の中で、学生時代に障がい者イジメ(暴力行為)をしたことを語っていたことが露呈。批判する世論の声に、当初、擁護していた組織委員会の判断が二転三転した末、2021年7月19日、本人の申し出により辞任。翌20日、橋本会長の口から、小山田氏の作曲したものは、開会式で使わないことが発表された。

しかし、2つの件は、問題の【質】が違うため、本来、切り離して考えられるべきだった。

■「表現法の問題」と「人間性の問題」
双方、20年以上前の「過去の過ち」という共通点はあるものの、
小林賢太郎氏の件は、言葉選びという「過去の表現法の問題」であり、
小山田圭吾氏の件は、暴力行為という「過去の人間性の問題」であった。

「過去の表現法」と「現在の表現法」の変化は、物理的に証明できるが、
「過去の人間性」と「現在の人間性」の変化は、証明することが困難だ。
きっと、「人間性」を問われてしまったら、誰も、万人の納得する答えなんて出せないだろう。その答えのない問い詰めが、過激な「キャンセル・カルチャー」を誘発する原因にもなっており、今回の問題にも繋がっている。

つまり、小林氏は、「過去の表現法の問題」を問われるはずが、小山田氏の件と混同され、小山田氏が問われた「人間性の問題」にすり替えられた結果、精査されずに、即日解任に至った。※❶で述べた、事実とは異なる(危険思想を持った人間かのような)ニュアンスの、無責任な伝聞のせいである。

❹開会式の演出・ピクトグラムと予算大幅削減

反省を20年間も体現し続けてきた男が、その功績をいっさい精査されないまま、突然ショーディレクター解任となった東京オリンピック開会式。
橋本会長は、「小林氏が具体的に1人で演出を手掛けている個別の部分はなかったことを確認した」とし、「開会式は、予定通り実施する方向で現在準備を進めている」と発表した。

しかし、23日、開会式を終えて、演出全体に、クリエイター・小林賢太郎氏のスタイルが色濃く滲み出ているとネットで話題となった。

■「ピクトグラム」は小林発案。公式ガイドのインタビュー拡散
実際、裏打ちするものがある。
解任騒動によって発売中止となった「開会式公式プログラム」だ。中止したものの、すでに出荷されていたため、手にした者も多く、ネット上では、掲載されていた演出・小林賢太郎氏のインタビュー文面が拡散され、好評だった「ピクトグラムくん」など、小林賢太郎氏のアイデアが、ふんだんに盛り込まれていた事実が判明した。

小林氏は、インタビュー内で、下記のように語っている。

【オープニングを小さな世界観から始めたのは、世の中全体に向けてではなく、まずは個人個人の心の中に届けたかったからです。また、各セグメントでのモチーフの描き方を、点、線、面、立体、空間……と並べました。(中略)ストーリーをはっきりと説明するような演出はしていませんが、自然と見応えとして伝わるといいなと思います】
立体である人間の体が平面にデザインされたものがピクトグラムですが、これを、わざわざ立体に戻し、人間の体で表現することがナンセンスなおかしみになれば、というところから発想していきました】

また、小林氏は、コロナ禍でのオリンピック開催についての想いも吐露した。

【オリンピックを目指す選手の皆さんの思いはとても尊いものです。でも、開催を疑問視する声もまた、筋が通っている。だからこの式典の内容が、意見の分断を際立たせるものになってはいけないと思いました】

開会式の準備は、刻刻と変わる条件に対応していくことの連続であり、演出企画チームは、その都度、何度も作り直し、開催されるとなった時のために備えてきたという。

■制作予算は増えるどころか、当初の5分の1に削減。
小林賢太郎氏は、他のクリエイターたちが匙を投げるような、「連絡の不行き届き」や、「制作予算の大幅な削減」にも応え、最悪「お蔵入り」も覚悟して、求められる中で最大限のパフォーマンスをするため、チーム一丸となって制作に取り組んできた。

組織委員会が165億と発表している開閉会式予算は、現場制作費だけでなく、1年延期で生じたありとあらゆるものに割り当てられたと想像される。当初のMIKIKO氏の案で水の泡に消えてしまった拘束費や作業費、さらにコロナ対策もその一つだろう。
結果、今回の開閉会式(4式典)で制作現場にまわされた予算はたった10億と言われており、当初の予算の5分の1に削減されたというのだ。クリエイターたちは、苦境の中、世界の祭典に見合うクオリティを求められ、やりくりして応えていかなければならなかった。

「ピクトグラムくん」というアイデアも、そういった限られた制約の中で、言葉の壁を超え、世界中の方々が楽しめるように、と作り出された才智の結晶だったのだ。

小林氏はインタビューのラストをこう締めくくっている。

【この式典で私たちがどんなメッセージを伝えるかよりも、ここにオリンピックが存在しているという事実の方が、ずっと大きなメッセージになるだろうなと思います。その受け止め方は100人いれば100通りかもしれません。そして大事なのは、みんなの考えを同じにすることではなく、お互いの違いを尊重しあうことだと思います。さまざまな制約のある式典づくりになりました。参加してくれているアーティストの皆さんは、持てる才能を惜しみなく注いでくださいました。そして、私よりずっと前から携わってきた大勢の方々の長きにわたる献身が、ここに形になろうとしています。この東京2020オリンピック開会式は、今の私たちにできる精一杯の表現であり、主役であるアスリートの皆さんへのエールです】

文末には、はっきりと「演出・小林賢太郎」と記されていた。

❺世界が慄くキャンセル・カルチャー(※追記有)

前述したように、演出・小林賢太郎氏は、20年以上前の己の過ちを、当時、すでに自ら反省し、その反省を20年間、ずっと体現し続けてきた。
このような人物が、「ホロコーストごっこをしようと言ったディレクター」と、一言で片づけられ、精査されずに即日解任され、事実とは異なる報道が世界中に広まったまま、放置され続けて良いのだろうか。
そのような人間を許さない精神が、東京オリンピックが掲げる「多様性と調和」の精神なのだろうか。

私たちには想像力がある。それは、想いやる力にもなる。オリンピックの後も、彼の人生が続くことを、私たちは想像できるはずだ。発売中止の書籍に触れるべきか悩んだが、そもそも発売中止にしなくてよかったはずのものが、発売中止に追い込まれていること自体にも、声をあげるべきだと思い、あえて、触れることにした。
小林賢太郎氏の、その才覚に、その努力に、正当な評価を求める声は高まっている。

オリンピック閉会式は、2021年8月8日。その後、パラリンピックが続く。
ショーディレクターだった小林賢太郎氏のアイデアをそのまま使用し、4式典をやり切るのであれば、組織委員会は、正式に彼の名誉を回復すべきだろう。

公式発表であれば、会見でも文書でも、どんな形でも構わない。
組織委員会が、世界に向けて、(組織委員会の説明不足で発生した)彼の誤報を正し、これまでの活動を公表し、改めて、「演出家」としての小林賢太郎氏を称えることは、彼自身の名誉回復のみならず、最後の良心として、日本のプライドを取り戻すチャンスになりうるかもしれない。

なぜなら、今、世界から見て、日本の行き過ぎた「キャンセル・カルチャー」は痛烈に批判され、呆れられているからだ。[※追記2021年7月28日]

「Haaretz(ハアレツ)」というイスラエルの新聞では、当事者であるユダヤ人でさえ、日本の過激な「キャンセル・カルチャー」を皮肉り、小林賢太郎氏の解任撤回を求めている。

《翻訳機による記事本文の抜粋》
【(前略)これが日本だけの狂気ではないことは私には明らかです。 「キャンセルカルチャー」がメディアに与える影響から判断すると、この狂気はコロナウイルスを羨ましがらせるようなペースで世界中に広がっています。
問題は、彼らが冗談を言った日本人男性を、怒らせたユダヤ人の名の下に解雇するとき、ユダヤ人だけが彼の弁護を許されるということです。 彼を擁護する他のすべての人も同じように告発されます。擁護した彼らは非難され、解雇される危険があります。
だからこそ、まともなユダヤ人は、日本から遠く離れた場所で聞こえる叫び声を上げなければなりません。私たちは傷ついていません!1998年に言われた冗談は気にしません。私たちは、紙で作られた障子部屋の仕切りではありません。 小林を連れ戻して屋上から降りよう】

手遅れになる前に、組織委員会が、今一度、事実を精査し、世界に向けて、正確な情報と毅然とした姿勢を発信することを願っている。

❻最後に

「無知の知」という有名な言葉がある。古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの言葉だ。「私は何も知らない。そのことを自覚している。」

スマホの上で指を滑らせ、ショッキングな見出しと不確かな情報だけで知ったつもりになり、勝手に自己完結したり、無責任な言葉を放ったりしていくうちに、
人間は、気付けば、思考力と判断力をどんどん低下させ、いつしか他者の感情に鈍感で獰猛な化け物に変化していくのではないかと、無性に怖くなる時がある。

だからこそ、「何も知らないことを自覚し、知ろうとする努力をする」。
これは、古代ギリシャの話ではなく、現代の私たちが持ちうる最小で最大の武器なのではないだろうか。
あなたの「知りたい」が、このページにあなたを導いた。
しかし、これを鵜呑みにするのではなく、あなたに、自分の中でまた咀嚼してほしい。

願わくば、
これを読んで「小林賢太郎」のことを知ったつもりになるのではなく、
これを読んで「小林賢太郎」のことを何も知らないことに気付いてほしい。

そして、知りたいと思えたならば、
書籍。作品。映像。ドキュメンタリー。「小林賢太郎」本人を探しに行ってほしい。
抜粋ではわからない、彼の姿がそこにあるはずだ。
私もそうしてみようと思う。それでもきっと、わからないから。

これを読み終えた今、あなたはどのように感じているだろうか。
私は今、それが一番「知りたい」。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

もし、英語に訳せる方が居ましたら、是非、文面を英語にして広めていただければ幸いです。日本国内でも、沢山の方に知っていただきたいので、コピペしていただいて構いません。ご活用ください。よろしくお願いします。

[※2021年8月14日追記]
なこここさんが、こちらの記事を英訳してくださいました。ありがとうございます。言葉の壁を超え、沢山の方に触れて、考えて頂ければ幸いです。





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