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エヴァンゲリオンを知らない人でも分かる「シン・エヴァンゲリオン」の凄さを解説!

こんばんは、新田です。

最近、エヴァンゲリオン(映画)が流行ってるみたいですね。

公開1ヶ月で興行収入70億円を突破して、
鬼滅の刃にはさすがに勝てないですが(あれは別格)
破竹の勢いで人気がでています。

で・・・

ちょっと、色々考察記事を書こうと思ってたんですが、

「これって需要あるんだろうか・・・」

と思ったので(苦笑)、今回は、

「そもそも、エヴァンゲリオンをよく知らない」

って人に向けて、

「見てなくても分かる!エヴァンゲリオンが
 現代人に伝えている重要なメッセージ」

というテーマで、
お伝えしていきます!!

(これを読んだら、エヴァンゲリオンを見たくなる人もいるかもしれません!
 まぁ、それはどっちでも良いですが、
 重要なテーマをお伝えしますので、とりあえず読んでいただけたらと!!)


まず、エヴァンゲリオンって、

「ロボットで戦うアニメ」

っていうイメージがあるかもしれませんが、
ガンダムとかとは全く違う作品です。


実際に、エヴァンゲリオンっていう乗り物に乗って
戦ったりもするのですが、
この「目的」が非常に深いのです。


このアニメを、10秒で説明すると、

「”人類補完計画”を遂行しようとする裏の組織と、
 その計画に巻き込まれていく子供たち(チルドレン)の
 葛藤と苦悩(精神世界)を描いた物語」

なのです。


裏の組織・・・って言ったら、
現実世界で言ったら、ロスチャイルドとか、
イルミナティとか、あるいは國體(こくたい)とか、
まぁそういう感じのイメージです。


で・・・

その裏の組織が目論むのが、

「人類補完計画」

という計画なのですが、

これって一体何??

というのをまずは説明しましょう。


実は、この物語に出てくる「人類補完計画」は、
決して僕らとは全く無関係の世界の話ではなく、

「全ての人間が根源的に持つ"苦しみ"」

から解き放たれて、幸せになろうというもので、
まさに「人類の究極の願望」であると
言えるのではないかと思います。


僕ら人類が、悩んだり、苦しんだりするのって、

"他者との関わり"

を通してです。


なんで自分のこと分かってくれないんだ・・・!!

とか、

この人のことが理解できない・・・!!

とか、

自分はこの人に嫌われてる気がする・・・!!

とか、

色々悩むわけですよ。


できることなら、
もう言語で会話しなくても、
心と心が繋がって、
相手の考えてることも、
自分が考えてることも、
お互い全部分かったら早いのに・・


なのに、僕らはお互いに「自我」があって、
それを守る「肉体」があり、
相手の心との間には「壁」ができている。

だからしんどい。

相手のことが分からない。

自分を受け入れてもらえない気がする。

認めてもらえてないんじゃないか。

愛してもらえてないんじゃないか。


いっそのこと、心の壁を取っ払って、
心も体も、相手と繋がって、
1つになれたらいいのに!!


・・・という、
そんな根源的欲求を叶えるのが、

「人類補完計画」

なわけです(笑)


どうやって取っ払うんですか?!

って話なのですが、まぁそこはアニメなので、
「とんでも設定」が色々とあるわけです。

このエヴァンゲリオンの世界では、
心の壁(これを「ATフィールド」と言います)を取っ払う方法が存在し、
その時、人は、自分の形を保つことができなくなり、液状化します。

生命体とは、
コップに水を入れた状態です。

コップという境界線があるから、
水は形を保っていられて、
内と外が区別でき、他と混ざらないのです。

コップが無くなると、
形は崩れて、他と混ざってしまいます。

これが、エヴァンゲリオンの世界観です。

面白い発想ですよね。


つまり、人類は、
心の壁(ATフィールド)が取っ払われると、
境界が無くなるので、形を保てなくなり、
液状化してしまいます。

これは「死ぬ」のとは違います。

この状態は、言わば「生命のスープ」であり、
魂の濃縮液のようなもので、

全人類が心の壁を無くして、
生命のスープとなって、1つとなることで、
お互いの寂しさとか孤独とか無価値感とか、
そういったものを全て補完し合う・・・

それが、

「人類補完計画」

なわけです。


そのための具体的な方法が、
「裏の組織」の人たちが信仰している思想の
教義(裏死海文書と呼びます)に書かれていて、
それを組織は実行しようとするのです。


これは、ある角度から見たら、
人類を滅ぼそうとしているとも考えられるし、
別の角度から見たら、人類を救済しようとしているとも取れます。


これって、現実世界に当てはめたら、
例えば、「宗教テロ」を起こすような人たちは、
彼らの信仰する宗教の教義に則ってやっているのです。

つまり、それをすることで、自分の魂は浄化され、
天国に行けるんだ!と彼らは信じているのです。
(関係ない人からしたら迷惑な話なのですが。)


エヴァンゲリオンの世界における「裏の組織」の人たちは、
全ての人類が心の壁を取っ払って1つになった時、
進化した単体生命(神に近い存在)となることができる、

だから、それを実行することが、自分たちの使命なんだ、
と信じているのです。


あくまでフィクションではありますが、
人類が液状化して1つになっていくイメージが、
実際に映像化されるのを見ると、

「あぁ、なんか分かる・・・!!」

と思ってしまうのです。


まるで、根源的に抱いていた願望が
具現化されたような感覚です。


心の壁を取っ払いたい。

もう形を保っているのが、
自我を保っているのが、しんどいのです。


だって、自分が嫌いだから。


他者と関われば関わるほど、
自分のことが嫌いになっていく。


自分の存在価値を感じなくなってしまう。


だから、いっそのこと、
全ての心の壁を取っ払って、
相手と1つになりたい。


1つになることで、
自分の存在価値を実感したい。


それまで壁のせいで相手が分からなくて不安だったもの、
埋まらなかったものを補完して、
自分の存在、自分の価値を確認したい。


だから、自分の形を壊して、
全人類と1つになりたい・・・!!

そんな願望。

まさに「究極の性的衝動」とも言えるものが

「人類補完計画」

です。


でも、本当にそれで、
全人類の心の壁が消えて1つになった時、

「進化した生命体」

になるのでしょうか??


僕は、それがずっと疑問でした。


そして、この作者(庵野監督)が投げかけたいメッセージも、
そこにあるのではないか?と感じています。


僕は、全人類の心の壁が取っ払われても、
人類は進化"しない"と考えています。


むしろ、「集合的無意識」に
飲み込まれるだけなのではないでしょうか。

集合的無意識とは、
全人類が普遍的に持つ無意識領域です。

そこには、人々が根源的に抱く願望、不安、恐怖など、
様々なものが存在します。

そして、その集合的無意識に飲み込まれた人たちのことを
「大衆」と呼びます。


大衆は、同じ性質を持ち、
まるで1つの生命体のように動きます。


同じ対象に不満を持ち、
同じ対象を攻撃して、
同じものを欲して、
同じものに飛びついて、

まるで、空を飛ぶ無数の鳥たちのように、
お互い連絡を取り合うわけでもなく、
誰かが裏で指揮をとっているわけでもないのに
見事に統率の取れた行動を取るのです。


でも、大衆になった方が、楽なのです。

大衆は常に「数の力」を持ちます。

「大多数の人が言ってることが正解」

というのが大衆の持つ価値観です。


だから、皆と同じになれば良い。

その方が、自分で考える必要もなく、
責任を取る必要もなく、楽なんだ。

・・・そんなことを考えるわけです。


これってまさに、

「人類補完計画」

に非常に似ているなと思いませんか?


心の壁を無くす(平均化する)ことで
悩みや苦しみから解放されるのです。


一方で、この物語(エヴァンゲリオン)に出てくる子供たちは、
常に人間関係に悩み、葛藤しているのです。


特に、

「親との関係」

で苦しみ続けています。


主人公(シンジ)の場合は、

「父親との関係」

です。


幼少期に親に愛されなかった子って、
それは大人になっても引きずると言われています。
(=インナーチャイルドですね)


主人公は、父親に愛されなかったせいで、
「父性」が失われてしまい、
自分で決断ができない人間になってしまいました。

結果、自分が好きな女性(アスカ)との関係でも

「自分は嫌われてるんじゃないか?」

と常に悩み続けます。


アスカはアスカで、母親が自殺をして、
インナーチャイルドが傷付き、
いつも「認めて欲しい」「愛して欲しい」
思っています。


アスカは、アニメ界においては、

「ツンデレというジャンルを作ったパイオニア」

的存在なのですが、同時に、

「こじらせ系女子のパイオニア」

でもあるのです。


シンジとアスカは、
お互い、似た者同士であり、
惹かれ合いつつも、
同族嫌悪の対象でもありました。


ところで、エヴァンゲリオンは、
1.TVアニメシリーズ+旧劇場版
2.新劇場版(序・破・Q・シン)
の大きく2つのストーリー(パラレルワールド)があるのですが、


「旧劇場版」では、組織によって、
実際に人類補完計画が遂行されることとなります。

人類は次々と液状化していき、
1つになろうとするのです。

(主人公たちは、それに抗おうとしましたが、
 仲間はどんどん殺されていきました。)

そして、いよいよ、全人類が生命のスープとなり、
1つになろうとした時・・・

主人公(シンジ)によって
計画が狂わされてしまいました。

主人公は最終的に、
「心の壁を取っ払って人類が1つになること」を拒み、
"他人"が存在する世界、つまり、

「心の壁がある世界(元の世界)」

を選んだのです。


これによって、人類補完計画は失敗に終わり、
全ての人類は絶滅し、
地球にはシンジとアスカだけが残りました。


すると、シンジは突然、
アスカの首を絞め始めます。

それに対して、
アスカが、シンジの頬を優しく撫でると、
シンジは首を絞めるのをやめます。

そして、アスカが一言、

「気持ち悪い・・・」

と言って、物語は終わります。

20年以上前に作られた「エヴァンゲリオンシリーズ」は、
これで終劇です。


観てる人は、全員呆然としたでしょう。


あまりに後味の悪い終わり方だったので、
多くの人のトラウマとなりました。


皆、口を揃えて、

「最悪のバッドエンドだ」

と言いました。


確かに、ハッピーエンドではありません。

でも、これを単なる「バッドエンドだった」で
終わらせて良いのでしょうか??


だって、これだけ人間関係で悩み続けたシンジとアスカです。

なのに、彼らは人類補完を選ばず、
苦しみに満ちた「元の世界」を選んだのです。


目の前にいるのは、嫌悪の対象となる存在。

だから思わず首を絞めるも、
その相手は、優しく頬を撫でてくれたのです。

それで、思わず泣いてしまう主人公・・・

だけど、やっぱり「気持ち悪い」のです。

これはもう、ハッピーエンドとかバッドエンドとか、
そういう次元の話でもないような気がします。
(もはや文学の世界です。笑)


そして、僕は、このエヴァンゲリオンという作品は、
平成という時代を象徴する作品だなと感じています。


平成とは、「平(たいら)に成る」と書きます。


まさに、人々が平均化し、

「可もなく不可もなく」

になっていく時代です。


高度経済成長の時代を終えて、

「皆と同じ」

になっていく時代。


同じところを、ぐるぐると回り続ける世界・・・。


そこから抜け出すのは、大変です。

自分のイヤなところとも
沢山向き合わないといけません。

苦悩、葛藤を抱えながら
生きていかなければいけません。


もっと認めて欲しい。

愛して欲しい。

1つになりたい。


そんなことを思いながら、

そんな自分を優しく受け入れながら、

「気持ち悪い」

と吐き捨てるのです。


ここで、終わり。

その先を、
旧エヴァンゲリオンでは
提示してもらえませんでした。


だから、「もやもやした状態」が
消えなかったのです。


そんな中、15年前、

「エヴァンゲリオン新劇場版」

が制作されるとなった時、
多くの人が希望を持ちました。


旧作が、あまりに悲惨だったから、

「せめて、皆にもっと幸せになって欲しい」

と人々は願っていたのです。


この"新"劇場版は、
・ヱヴァンゲリオン新劇場版:序
・ヱヴァンゲリオン新劇場版:破
・ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q
・シン・エヴァンゲリオン劇場版
の4部作となっているのですが、

序・破は、ファンの間で好評でした。


絶望的な終わり方をした旧作に比べて、
かなり明るい展開で、
そして多くの人が求めていた展開でした。

「そうそう!こういうのを待ってたんだ!」
とファンたちは歓喜しました。

ずっとこじれていた「親との関係」にも、
希望が見出されてきたのです。


だけど、それが、Qでぶっ壊されました


Qが公開された時、
ネットでは大炎上しました。


序・破と打って変わったあまりに絶望的な展開に、
「旧作」の時の悪夢が蘇ってきたのです。


「また、やっちゃたよ・・・」

と多くの人はガッカリしました。


正直、序・破で、
ほぼ「勝ちパターン」は見えていたのです。

こういう展開にしてくれ!!って
多くの人が望んでいた展開をちゃんと進んでいたのに、
Qで全部ひっくり返したのです。


一体、監督は何を考えてるんだ・・・?

そもそも「Q」って何なんだ・・・??

どうして、またバッドエンドに持っていこうとするんだ・・・??

この監督はもう病んでるに違いない。


そんなことを言われ続けて8年。


ついに、2021年に、最終章である

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

が公開されたのです。


これが、すごかったのです。

何がどうすごいか?って言うと、

「今までのエヴァンゲリオンシリーズの全ての作品が
 見事に"補完"された」

のです。


最悪の展開と言われていた「前作(Q)」が、
実は、最高のストーリーに昇華させるための
布石だったのです。


つまり、この監督は、

「戦略的に、ファンをがっかりさせていた」

ということです。


なぜ、「Q」というタイトルにしたのか、
ずっと謎でした。


だけど、ふと思いました。

この「Q」という形は、
ぐるぐると同じところを回っている、
その「円環」から、抜け出すような形
になっている。

・・・と。

スクリーンショット 2021-04-18 1.02.40


実際に紙に書いてみると、
ぐるぐると回っているところから、

「いったん、逆に進み、円環の外に行く」

というのが分かります。


そして、外に行ったら、
さらに大きな円環を描くことができるのです。


これこそが、監督のやりたかったことなんじゃないか!?

Qって、そういう意味だったのか!!

そう感じました。

(あるいは、意識してなかったけど、
 潜在意識で直感を得て、やっているかのどちらかです。)


今回の「シン・エヴァンゲリオン」では、
今までずっと放置されていた、

「シンジの父親との関係」

に、ようやく向き合ったのです。


それだけじゃなく、それぞれのキャラクターが、
自分の弱さと向き合って、

「心の補完」

を行おうとするのです。


その結果・・・


((ここからはネタバレになるので伏せます))


そして、この「シン」劇場版は、
TVアニメシリーズの最終話に繋がります。


主人公(シンジ)は、精神世界で、苦しみ続けます。

自分は誰にも必要とされていないんじゃないか。

自分には価値がないんじゃないか。


そうやって、自分の世界に閉じこもろうとするんだけど、
そこから、ある気付きを得ます。


「他の人がいるから、自分が見えるんじゃないか。」


自分というものは、1人で定義されるものではありません。

自分と繋がっている他人を通して、自分が定義されるのです。

一番最初の他人は、親。

他人との違いを認識することで、自分を象っている。

他の人たちが、自分の形を作ってるんだ!


そう気付いた時に、心の中に、

「やっと分かったの!バカシンジ!!」

という声が聞こえます。


そして、思考を巡らせて、

「現実を見る角度を少し変えたら、真実が変わる。
 その結果、現実世界も変わる(色んな可能性が常に存在する)。」

「皆、与えられた他人の真実でしか物事を見ようとしない。
 晴れの日は気分良く。
 雨の日は憂鬱。
 そう教えられたら、そう思い込んでしまう。
 雨の日だって、楽しいこともあるのに。」

「そう思えば、この現実世界も悪いもんじゃないな。」

「僕は僕が嫌いだ。
 でも、好きになれるかもしれない。
 僕はここにいても良いのかもしれない。」

という結論に至ります。


その瞬間、闇がパーっと晴れて、
心の中で、自分と繋がっている皆が、

「おめでとう!!」

「おめでとう!!」

と祝福してくれるビジョンが見えるのです。


・・・さて、これがエヴァンゲリオンの世界観であり、
平成から令和に進む上で
非常に大事なことだなと感じます。


令和とは、

「和するように天からの令がおりている」

という時代です。


でも、「和する」というのは、
決して「人類補完計画」のような
全員の心の壁を消して1つになることではありません。


心の壁はあったって良い。

もっと奥の魂の次元で繋がっていたら良いのです。


1人で存在する「私」ではなく、

まわりの人との関係性を通して存在する、

「和多志(わたし)」

になるのです。


「シン・エヴァンゲリオン」は、

これまでの全てのエヴァンゲリオンを補完する物語であり、

人々が根源的に持つ心の隙間を補完するための物語であり、

同じ運命を繰り返す円環の理から抜け出すための物語であり、

「人類補完計画」そのものを補完する物語なのです。


その上で、鍵になっていたのが、

「Q」

だったのです。

ぐるぐると同じところを周っているところから
「飛び出す」のが「Q」です。


これって、人生に似てるなって思います。

人生では、

「なんでこんなことが起きなきゃいけないんだ!!」

と残念に思うようなことが沢山あります。


でも、それは、確かにその瞬間は悔しかったり、
ネガティブな出来事と思うかもしれませんが、
後からみた時に、

「実は、あの瞬間から人生が大きく変わっていた!」

「あの時のおかげで・・・!」

って思ったりするものです。

つまり、ずっとぐるぐると回っていた同じ場所から
抜け出す瞬間を表しているのです。

その瞬間が「Q」。


だから、「Q」は、それ自体では完結せず、

「シン・〜〜」

がくっつくことで、"再定義"されるのです。


その時、これまでの過去の全てが、

「おめでとう!!」

と祝福してくれるのです。


そんな、現代に生きる人へのメッセージを
感じた作品であり、

そして、

「見る角度を少し変えたら、真実が変わる」

ということを、エヴァンゲリオンというシリーズ全体を通して
体験させてくれた、そんな作品でした。


「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見ると、
TVアニメシリーズの最後はそういうことだったのか・・!と、
シンジのように、闇がパーッと晴れる体感ができると思います(笑)


なので、過去作品を見て、もやもやした!って方には
ぜひ観て頂けたらと思います。

というわけで、今日はエヴァンゲリオンを観てない人でも
世界観が分かるようにお伝えしました!

非常に深い作品なので、色んな話ができそうなのですが、
あんまりマニアックにしすぎるのもアレなので、
また機会があれば喋ろうと思います。


それでは、ありがとうございました。


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また、過去に「鬼滅の刃」の映画レビューも公開中です。
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