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プロeスポーツチーム『REJECT』発足2年の物語。/ 「所詮ゲーム」なんて言わせない。

REJECTを運営する株式会社CYLOOKを2018年12月3日に創業し、
それから約2年が経ちました。
今や実力派プロチームとして5連続で日本代表として世界大会に出場させていただいていたり、
保有している部門7タイトル全てでトップクラスの実績を誇るプロチームとなりました。
最近はVALORANTのvs JUPITERでの激戦や野良連合NRGの買収で日本のトレンドにも載りました。
そしてREJECTはスタッフも増え選手社員合わせて60名を超えます。
早いような、遅いような。少しは大きくなりました。
ちっぽけな一人の会社から2年近くかかってしまいましたが、
良いイメージをもってくださる方が増え、
少しは認められる会社、チームになったのかなと思います。
素直に嬉しいです。
でも、元々からそんなに良い会社だった訳でも、人が沢山いた訳でもないです。
むしろ会社なの?と疑われるようなたった一人のボロボロの会社でした。
そんなところから、やっと。CMを出すまでたどり着きました。


ご挨拶が遅れましたが、
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ぼくは現在同志社大学経済学部の4年生で21歳、
eスポーツチーム「REJECT」を運営する株式会社CYLOOKの
代表取締役の甲山翔也と申します。
eスポーツ業界では『なすてる』というニックネームで呼ばれています。
最近はVALORANTというゲームにハマっていますが、
ゲーム以外の趣味はピアノやヴァイオリンを聴きながら読書することです。
一人の時はかなり静かなタイプです。
今日は特別な日だから、
これまでの歴史や想いをちょっとまとめておくことにしました。
この会社は元々ぼくが19歳、同志社大学の2年生の時に、
下宿先の小さなマンションのワンルームから、
たった一人の会社がスタートしました。
少し前に戻って、話をします。

いじめから僕を救ってくれたもの

小学1年生の頃から6年生までちょこちょこ虐められてた自分を、
救ってくれてたのがゲームだった。
ありがちな虐めは体験できた。
靴、、、なかったし、、、裸足で帰ったりしたし、、、
暴力もあったけど、武道をしていたから身体は結構強かった。
でもやっぱり言葉って重たくて毎日しねって囁かれていたのが、何よりも辛かったのを覚えてる。
小学5年生のときから友達とオンラインゲームを始めた。
すごく楽しかった。
親友と毎日Skypeで電話しながらゲームしてた。
嫌なことを考えないでいい唯一の楽しい時間だったと思う。
大学1年のとき、受験が終わりゲームを再開。
本気で遊ぶようになった。
CSO2って言う結構人気のFPS(シューティング系)のeスポーツタイトルがあり、
3度の公式オフライン大会のうち大阪と名古屋の2度出場して両方とも優勝。
オフラインの大会で優勝するのはとても気分が良く、
当時試合中何度も叫んでたのを今でも覚えている。
(実況はあのOooDaさん、解説はnethさんだった)
当時の賞金はゲーム内マネーで、1円たりとも現金では受け取れないようなものが普通だった。

プロ選手として呼ばれ、オーナーに騙される

2018年7月頃、イベントで出会った方に「俺の夢はプロチームを持つことだ」と聞かされ、
1ヶ月後に「資金が集まったから甲山くんを筆頭にPUBGでチームを作って欲しい。毎月全員に給料も払える」と、
声をかけられた。これくらいの金額なら良い選手と一緒に競技ができる!と
界隈で上手だった選手を僕はすぐに集め、チームが発足した。
それがREJECTの前身となる「All Rejection Gaming」です。
今もREJECTで選手を続けてくれているOsakanamuamuも当時はぼくと一緒に活動してました。笑
毎晩練習に励み、初回の大会(PJS PaR)にてギリギリGrade2に昇格したところ、まさかのオーナー失踪。
選手の前では「オーナーの帰りを待とう」と身の安全を心配してたのですが。
しかし1週間、2週間、、、1ヶ月と待つにつれて選手からぼくはバッシングをくらいまくった。
なんたって、選手を集めたのはぼくなんだから。でもオーナーからの連絡は永遠に帰ってこない。
責任を感じ、「俺が代表になって給料を払う」そういってGrade2の出場を最後に選手を引退。
12月3日、当時19歳で今の株式会社CYLOOKを設立した。

これは逃げるわ・・・。チームってビジネスになるの?

当時1部問だけだったPUBG部門の選手には毎月1、2万円程度でまず始めさせて欲しい。と懇願した。
会社を建てたものの、eスポーツチームで収益化できる気がしなかったのだ。
スポンサーってそもそもなんでスポンサーしてるのだろうか。
自分は選手をしていたにも関わらず、「チームビジネスとは何か」を知らなかった。
少し頑張ってウェブ制作について勉強して稼いだお金を選手の給料と営業の交通費にあてた。
よくわからないままそれっぽいことを始めた。
とにかくスポンサーを付けようと知り合いの会社をあたった。
やってから気づくことは多かった。とにかく数字が大切なのもわかった。
全選手にとにかく数字を出して欲しいとお願いし続けた。
選手にも沢山会いに行った。選手と夢を語るのが楽しかった。
収益がしっかり得られるような未来は中々見えなかったが。
資料も稚拙なまま社長の自分が浅い知識で営業し、
優しい方々に応援いただく形で金銭では無い形での支援からスタートした。
記憶に一番深く刻まれているのが1番最初にスポンサードを決めてくださった
株式会社ストランダー(当時は株式会社アジャスト)さん。
何もわからないまま、スーツを着て新宿まで震えながら伺った。
ダメだろうなと思っていたが、当時アジャストの社長である青木社長は
是非スポンサーをさせてください。甲山さんの想いを応援しないわけにはいかない!
と、その場で快諾してくださった。
ファンサイト構築の無償支援だけでなく、毎月の定例MTGでの勉強や、
eスポーツチームとして必要なものや体制を教えていただきました。
思い返せば青木社長との出会いがなければ今のREJECTは無いかもしれません。

勝負のPUBGMOBILE部門、バッシングとヒット

PUBGMOBILE部門の結成当時、
競技シーンでは、プロチームがほとんど介入していないのに世界大会が行われた。
これは参入するしかない。
(大手の苦手な)発言は悪いが強い選手を上から10名ほど。
給料は出せないけど活動に必要なデバイスや交通費は負担する、
後はどこよりも早く成長するうちの将来性にかけて入ってくれ。と、口説いて入ってもらった。
当時の界隈は酷く荒れていたし、ぼくが荒らしてしまった責任を感じた。
マナーの悪い行為ばかりしている選手にプロという冠を渡すのはどういうことだ。
と、多方面から毎日のように長文のDMが届いたものだ。
何度も選手を叱ったが、ぼくも選手も誹謗中傷は辛かった。
でも、弱小チームが勝ち上がるにはこれしかないと理解していた。このタイトルに勝負をかけた。
結果、初の大型大会優勝。やはり彼らは強かった。
圧倒的なポイント差を付けオフライン大会優勝。大手のいる中、本当によくやった。
今思い返せば、周りがカッコイイユニフォームのなか選手にあんなにもダサいTシャツを着せていたのを反省している。
ドイツでの初の世界大会、初の日本代表。何もかもが新鮮だった。
まず選手の親御さんへの渡航許可をもらうにも時間がかかった。
「本当にそんな大会あるんですか?eスポーツってなんですか?」と、
中々信じてくれなかった。
渡航先では、海外選手の扱いと国内選手の扱いの差ががわかった気がした。
ドイツについてからはSIMカードもプレゼント、ベンツでの送迎
高級レストランでの食事、高級ホテルの手配
つい声を出してしまうようなサポート体制。
海外チームの格の違いとのその雰囲気。
我々はギリギリで作ったユニフォームをきているだけだが、
海外チームは何もかも全身チーム色にそまってるんですよ。スポンサーヤバイし。
スマホ端末で大会出場だったのですが、海外選手はスマホのスポンサーがついている。
それでずっと練習しているのだ。僕らは各自のスマホ。そりゃレベルの違いが出てしまう。
結果は予選5位で決勝進出。決勝は9位。
その後は国内大会は連覇。
台湾も、マレーシアも、サウジアラビアも行った。
2度もアランウォーカーに会った。最高だった。
そんな素晴らしい体験をできるようになっても、
海外チーム・選手と、国内チーム・選手との
肌で感じたその扱いの差は、ずっと胸に残っていた。

一生忘れない嬉しい言葉ももらった。

給料が0円だった選手も今では月30万程度をコンスタントに稼ぐような凄いプレイヤーになった。
最近になって「信じてついてきてよかった。REJECTを抜けるときは俺がゲームをやめるときだよ」と言われたときは泣きそうになった。
選手の保護者から連絡をもらい、何か問題があったかとビクビクしたが、
「あまり発言しなかった息子がREJECTに入ってから(eスポーツを通じて仲間が出来て)自信がついたように楽しく話をするんです。」
と嬉しい感謝の言葉を頂いたこともあった。
自分の経営センスのなさに気づき、経営者としての先輩である父親に助けを求め借金をしたこともある。
「俺、今がむしゃらにやってるけど、正直未来見えへんわ。やり続けたらいつか成功するビジネスやと思う。でも、お金ももう尽きてきた。ダサすぎるわ、ごめん、会社も継がずに大学も休学して自由にさせてもらってるのに結果も出されへんくて。でも、ここまでやって辞めたくない。一生のお願いや、お金を貸して欲しい」
父親は笑ってた。そんなことやと思ったわ、元々遊びではじめたようなもんやしな、経営はそんな簡単ちゃう。と
そして「会社は社長1人のものではない。社員が居ないと会社は回らない。社員の事を第一に考え大切にしなさい 」
そういってお金を200万ほど貸してくれた。もう返してしまいましたが、この言葉は一生忘れぬ自分の財産になった。



累計5000万円の資金調達、本社を六本木へ

出資についての契約書はサウジアラビアでの世界大会中にクラウドサインで送られてきた。
大会リハーサル直前に、世界的DJであるアランウォーカー氏や、
選手たちのいる前でサインしたことを覚えている。
帰国後すぐに上京した。
自分の経験・能力不足は自分が一番理解していた。
そして何もわからぬままぼくは株主から学び続けた。
会社が家になり、朝から晩まで永遠に思考し続け人と会い続けた。
家まで徒歩5分だったがそれすらも帰るのが惜しく、会社で寝ることも多かった。
自分より年齢が高い社会人の人生を背負うのはそう軽い気持ちではできなかった。
覚悟を決めた。次第に甘い考えも消えていった。
選手や社員の待遇を少しでも良くしていくために。
初めて人を雇うのは新鮮だった。
コミット量重視で社員を雇いたいと考えていたが、
第一号社員がまさか務めて初日から共に寝泊りして
朝から晩まで寝ずに働くなんて思ってもいなかった。
ちなみに二号社員は遠方のため、オンライン面接で採用した翌日、
パソコン一台・着替えも持たずにやってきた。正直狂ってると思った。
そこから半端じゃないスピードで似たような仲間が集まった。
少しずつ余裕ができ、できるアクションが増えた。
例えば選手にパソコンや端末を沢山買えるようになったり、
撮影を増やせたり、ゲーミングハウス を構えられたり。
コロナが訪れても、僕らは走り続けた。
ゲーミングハウスに選手たちは住ませる事が出来ずほぼ社宅に。
しばらくはコロナの情勢下でも耐えうる体制を整え目標を定めた。
今話題の最新大人気タイトルVALORANTへの参入を果たした。
Dep選手を焼肉屋で口説けた所が僕たちの転換期だった。
年棒1000万円で選手契約をした。
eスポーツ界、FPS界では国内歴代で知るところでは最高額だと思う。
強豪チームも買収した。インパクトは凄かった。
やれるアクションはどこよりも早く大きく動く


2020年9月16日 本日。

先日リリースした累計5000万円の資金調達、
強豪チーム買収、VALORANT参入を皮切りに、
本日、9月16日。
大型リブランディング実施
ウェブサイトリニューアル
REJECT ブランドコンセプトムービー公開。
『NOT JUST A GAME』
渋谷スクランブル交差点109ビジョン CM放映開始
自信を持って世の中に我々の存在を発信する日がやってきました。
皆さんご覧になった事はありますか。
あの渋谷のスクランブル交差点ですよ。CMを流すんですよ。
eスポーツチームが。正直、涙が出るくらい嬉しいです。
これから半年間毎時14分15秒から流れます。
是非一度足を運んでご覧になってください。

僕は今日一番綺麗に見える夜に、渋谷まで見に行きたいと思います。
なんとなく凄い事してやったぜ感を出してますが、僕(ら)の目標である
「eスポーツで世界で最も多くの人々に衝撃と感動、そして夢や希望を与えられる存在」
になるまでは、まだまだこれからが勝負です。
所属する選手たちをそんな本物の存在にするために、
日本からeスポーツのイメージや常識を覆す(REJECT)するために
一喜一憂せずどっしりと邁進していきます。
でも、まずは小さな第一歩、ギリギリですが
踏み外さずここまで良く頑張ったと今日だけは言い聞かせたいと思います。
REJECTを応援してくださる皆様、関係者の皆様、いつもありがとうございます。
今後とも精進してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。

思い出画像貼っておきます。

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