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田舎の陰キャの服がダサいのは必然

5年ほど前、こんなやりとりがあった。

お洒落に無頓着な男とその周囲の反応 - Togetter

これは間違いなく5年前のぼくであり、そして実際に服はダサかった。今もダサいが、それは気にしないでおく。

今は、上京してある程度経ったのもあり、ファッションその他の最低限の知識や文化は理解したつもりだ。
まあ相変わらず知らないこと分からないことだらけではあるが、今回の本筋はそこではないので容赦してほしい。
今回のテーマは5年前の答え合わせである。

Togetterまとめの中で出てきたいくつかの仮説について、現在のぼくの見解を書いていこうと思う。

なおまとめ内のツイートのほとんどは既に消えてしまったものなので、テキストをそのまま貼る形で振り返ってゆくことにする。

そもそもお洒落なんて考えなきゃいけない環境って中高で存在するかね?普通ずっと制服着てるはずなんだが

まずこれに関してなのだが、これは部分的に真であると言えるだろう。少なくともぼく自身は中学でお洒落を考えなければならない環境にほとんど身を置くことが無かった。ずっと制服を着ていた。これには理由がいくつかある。
そしてその理由のいくつかはまとめ内でも語られている。

まず第一に、休日に誰かと遊びに行く文化があまり無いということ。
そしてそれは、ぼくの出身地が田舎であるということと、僕の通っていた高校が関係していると思う。

そう、

田舎と都会の違い???

という疑問は、部分的に正しかったのである。

田舎だから遊びに行く場所がないのだ。
東京の高校生が休日にどこに遊びに行くかは正直ぼくもよく知らない。知らないが、渋谷やら原宿やら新宿やら行けば何かしらあるだろう(適当)。オシャレ文化を発信しているナニカシラがあるだろう。

そんなものは高知にはない。
あるのはジジババの集う繁華街と最低限の都市機能を集約させたショッピングモールだけである。

そして校則でゲームセンターやカラオケへの立ち入りは禁止されていたし、街に数カ所しかないゲーセンには定期的に生徒指導部が巡回に訪れていたので、ゲーセンやカラオケに行くのもリスクが伴うのである。

軽音楽をやってたくせに私服を着る機会がなかったというのも事実である。ライブに出る時ですらほぼ制服なのだ。

これは田舎の高校生特有の「学校と部活と家でしか社会との接点がない」という現象だと思う。
学外の人間や文化と繋がる機会が圧倒的に都会と比べて少ない。
趣味などのコミュニティが学外でリアルで出来上がる土壌がない。インターネットで知り合った友達は大体遠く離れた別の土地にいる。

そして、自分のいる文化圏と異なる文化圏があることに、そもそもほとんど気づかない。
都会にいれば電車や駅で死ぬほど目にする広告や、興味はなくてもいつも前を通るお店という概念があまりない。いくらインターネットがあっても、存在を知らないものは検索できない。
あらゆる文化面において、田舎にいることはハンデだ。上京して、いわゆるクリエイター的なことをやっているが、多感な時期を都会で育った現役高校生とは経験値の差が大きいことをひしひしと感じる。田舎で生まれ育った自分は、20歳で上京した時点ですでに年寄りだった。
そして、当然その文化的断絶はファッションにおいても同様に存在する。

田舎といっても人口30万人都市だから、田舎なりにファッションに興味のある若い人たちもいたはずなのだが、そういう情報が自分のところに入ってくることはなかったし、そういう人と繋がることもなかった。
そういう世界なのだ。

そして第二の理由。

それはぼくが、陰キャであるということだ。

まとめの中でも言及されていたし、それを言ってしまえば元も子もないのは事実だが、
陰キャほど自分の身だしなみに気を遣わないというのは実は思ったよりも問題が根深いところにある。

オタクだから服より趣味に金をかけたい、というだけの話ではないし、単に興味がない以上の理由があると思う。

とくに男性に顕著なのだが、
陰キャほど、自分は身だしなみに気を遣ってはならない身分なのだ、と思っているふしがあるし、なんなら身だしなみに気を遣えば負けだとすら思っている場合すらある。

なぜか?それはスクールカーストをはじめとする社会的ヒエラルキーにおいて下位だからだ。

陰キャは陰キャゆえに陰キャとしか繋がることを許されない。共通のオタク趣味を語り合う友人はできても、輝かしい青春を送ることは許されない。
見た目の良し悪しはヒエラルキーの上下に直結する。不細工でコミュ障ゆえに下位に落とされた陰の者が、身だしなみなどというものに気を遣う行為、それは分不相応なのである。
カースト上位の者は、ちょっとお洒落した陰キャを全力で馬鹿にする。そんなことをしても無駄だと言う。「キモい」と罵倒する。
そして悲しいことに、不細工は何着てもかっこよくならず、イケメンは何着てもカッコ良いというのはわりと事実である。
素材が駄目だと何しても駄目だという無力感をトラウマとともに植え付けられるのである。

なおこのトラウマを植え付けるのはカースト上位の陽キャだけとは限らず、陰キャ同士でも行われうるし、親にされる場合もある。
陰キャ同士の場合は、「抜け駆けしようとすんな」の意味を含むだろうし、親はいつまでも子どもが子どもだと思っている。

ともかく他人に「お前は見た目に気を配っていいような人種ではない」というトラウマを植え付けられた陰キャはますます身だしなみに気を配らなくなり、カースト下位であることを固定化する。
そして場合によっては、カースト上位の陽キャへのルサンチマンを拗らせて「お洒落なぞに興味を持つのは攻撃的で悪いことである」という価値観を形成する者すら居る。たぶん。

ちょっと頑張った結果「キモい」「空回りしている」「調子に乗ってある」と言われるかもしれないのが怖い。そうなるくらいなら、最初から「普通にダサい陰キャ」のままでいるほうがマシなのだ。

こうして陰キャはお洒落への興味を喪失していく。

だから、

友達と遊ぶときにおしゃれしたいって思うじゃん普通
そこが欠落してんじゃないの?

と言及されているが、友達と遊ぶときにおしゃれする、という行為はカースト最底辺男子コミュニティにとっては敵対宣言であり、なおかつ自らのトラウマをほじくり返す行為なのだ。

現在のぼくも別にこのトラウマを克服しているわけではない。未だに男性的なかっこよさには微塵も興味が湧かないし、自分には合わないと思っている。興味が女装の方向に傾いているのはそういうことだと思う。攻撃的な陽キャクソオスには死んでもなりたくない。一方で可愛ければそれだけで存在価値がある。
それでもやはり、お洒落と陽キャの存在が近いものである以上、怖いのは事実である。書いてて涙が出そうになるくらいには、怖いのだ。

まあ要するに、陰キャがお洒落を頑張るには、トラウマの克服が必要である。

ちなみに陰キャ不細工は何しても本当にダメかという話だが、全くダメというわけではないと思う。
先述した通り、素材が悪いと何着ても駄目はわりとその通りなのが悲しいが、裏を返せばまず素材を磨くことから考えるべきなのだ。
具体的にはスキンケアとか眉毛や髪を整えたりするのが先決で、服はその次だということに気づけばよいのだが……まあ、文化的断絶の中にいる高校生の頭でそれに気づくのはまず無理である。というか、初心者がまず一番最初にすべきことが直感的に分かりづらく、巧妙に隠されている(ように見える)初心者お断りの構造もまた陰キャの自信喪失に一役買っているような気がする。

とりあえずどうするのが正解なの…

などと5年前のぼくは呑気にほざいているが、お洒落をするというのはトラウマ克服プログラムである。頑張れ。

あ、そうそう、加えて言うと、ぼく個人がいちばんそういう(お洒落をしようとしている)という動きを悟られたくなかったのは親だった。お洒落に限らず、人間関係や趣味を含めかなり色々なことを親に知られるのが嫌だった。何かするたびに細かく感想めいたものを言われるのが心底鬱陶しかったからである。たぶん、高校生の頃輪をかけてお洒落に興味を持てなかったのは親の存在も大きいと思う。

というわけで、田舎の陰キャ男子高校生の服がダサいのは必然という話でした。

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