朝日新聞社GLOBE+に掲載された自称震災孤児あぶくま君のインタビュー記事についての考察(前編)



1:はじめに

東日本大震災で行政の不手際で震災孤児になりホームレス生活をしていたと自称し自身の体験談を漫画にしてTwitterに投稿しているあぶくま君 @abukumakum という人物がいます。

このあぶくま君が発表している漫画、公共機関の公式な記録や当時実際に被災した方々の証言と照らし合わせると余りにも誤りが多く且つ当時必死に震災対応をしていた方々への誹謗中傷となるような表現が多く、思わずtogetterで矛盾点についてのまとめを作成してしまったくらいです。noteでも矛盾点指摘についてやろうかと思っていたのですがあまりに膨大な記事になってしまうので止めました。興味のある方はお手数ですがtogetterまとめを読んでください。

2021/4/27追記:上記togetterは利用規約に触れている、ということで非公開になってしまいました。あぶくま君についての説明は下記noteの記事をご覧ください。

1話につき1つ以上の矛盾点が見つかってしまうこの自称震災体験漫画、余りに支離滅裂な内容なので作品を観察している人達の間ではあぶくま君なる人物は存在しないのではないか?との疑念が浮かび上がっていました。

2:まさかのご本人登場

ところが2021年10月16日に朝日新聞GLOBE+にあぶくま君本人と面会してインタビューを行ったという記事が掲載されました。

インタビューを行ったのは朝日新聞GLOBE+副編集長の関根和弘 @usausa_sekine あぶくま君がフォローしている数少ない(たった3名)のフォロワーの一人です。

あぶくま君のフォロワー

このインタビュー記事であぶくま君本人がはっきりと「この漫画は事実」と語ってしまいました…今まで必死に「漫画なんだから事実と違う個所はフィクションに決まってるだろ」と擁護していた皆様は思いっきり後ろからぶん殴られてしまいましたね…ご愁傷様です。同時にあぶくま君は退路を自ら断ってしまったのですが大丈夫ですかね?

3:あぶくま君自身が認めた事実とさらなる矛盾

そんな自ら退路を断ってしまった自称震災孤児あぶくま君のインタビュー記事ですがこれまた矛盾が満載の支離滅裂な内容なんですね。頭が痛くなります。ただ本人の口から「これは事実だ」と主張し新たに判明した事実もあるのでそれらを列挙し整理していきたいと思います。ついでに疑問点と矛盾点も指摘します。

 1・友人に付き添われて本人登場

指摘0

⇒前提のお話としてあぶくま君は行政の網から漏れて震災孤児になり保護を受けていないと主張しています。インタビューに付き添うにあたり友人たちにはあぶくま君が孤児だということは当然伝えているはずなのですが南相馬市には一切そういった旨の連絡はないそうです(南相馬市こども家庭課に電話にて確認済み)友人なら誰かあぶくま君という孤児の存在を伝えてもよさそうなのですが…


 2・避難所の次々と遺体が運び込まれた

指摘2

これは確実に嘘。断言できます。南相馬市の遺体安置所は
遺体安置所の設置及び運用については南相馬市がまとめた東日本大震災記録誌に詳細が記録されています。具体的には震災での遺体は原町高校第二体育館に収容され検視されたため避難者の生活スペースと動線が重なる事態は発生していません。そして原町高校の避難所は2011年3月12日以降は避難者0です。避難している場所に次々と遺体が運びこまれるのを目撃することは物理的にありえません。

避難所

 3・酒の力で創作

酒の力

⇒あぶくま君はTwitterのbioで「震災の記憶を風化させないために当時の事を漫画で発信していきます。みなさんに当時の様子を知っていただけたらと思います。」と記載しているのに「ストーリーの構成」を考えるとは??
そしてやはり友人はあぶくま君が孤児であることを知っているということが確定。なんで誰も南相馬市役所に連絡しないんですかね??

 4・根拠もないのに誹謗中傷を受けた

あぶくま君に対する誹謗中傷

⇒根拠は滅茶苦茶沢山あります。

何よりも南相馬市役所が完全に否定しています。因みにこの記事を書いた関根和弘記者 @usausa_sekine にTwitterで南相馬市に裏とったのか聞いたところブロックされました。


 5・漫画は事実

漫画は事実

⇒あぶくま君本人が漫画のストーリーは事実でありフィクションではないと断言してしまいました。「この漫画はフィクション」という逃げ道を自ら断つ形に…大丈夫ですか?
また漫画に描かれていた
・被災当時の年齢は15歳
・漫画の「父親事故死、母親と2歳の弟、離婚した姉と姉の4歳の息子と同居」というかなり限定される家族構成も事実
・家族どころか親族全員連絡が取れなくなったのも事実

という戸籍を管理している南相馬市役所からしたら一発で特定できそうな情報も事実だと断言。大丈夫ですか?南相馬市では震災当時中学生の震災孤児は1名しか存在しないんですが…その震災孤児については震災発生直後から安否を確認されずっと追跡調査されているのですが…ついでに言うと中学生の行方不明者数も0人なんですが…

震災孤児数


 6・関根記者の「裏付け」

関根記者の裏とり

⇒関根記者は「裏付けになるような公的証明書などを見せてもらったりした」らしいですけど南相馬市こども家庭課に電話にて確認したところ震災孤児を公的に証明するような書類は発行していないそうです。何を見たんでしょうね?

 7・被災時の様子

被災時の様子

>「式には保護者も出席していたので、多くの生徒が震災直後、待機していた家族と合流できたのですが
⇒震災当時南相馬市の公立中学校が卒業式をしていたことは事実だが式は午前中に終わり午後には解散・帰宅となっているので被災の時刻まで「家族が待機していた」は嘘です。当日は給食も出ないし地震発生時刻の14時46分まで生徒を校内に残しておく意味が分からない。同じ南相馬市の小高中学校でも「被災当時は卒業式を終え帰宅していた」と証言が残っています。

Twitterでも午前中で解散下校になるのとの地元民らしき方の証言があったり…

それと漫画では普通に母親が式に出席してますけど…?

あと家族構成も事実だと認めています。

 8・家族の安否について

家族の行方

>――ご家族は今も行方不明のままなのですか。
そうです。

⇒漫画のタイトルは「15才の時に東日本大震災で家族を亡くし、」なんですが??これでは行方不明なのか亡くなったのかはっきりしませんね…

>震災から約3年後に役所を通じて警察に相談しました
⇒南相馬市こども家庭課に電話で確認した際はそのような事例は把握していないとのことでした。

 9・検視を民間の避難者が手伝っていた

避難所の様子2

>避難所は極限状態でした。次々と遺体が運び込まれ、安置された遺体は私たちの生活スペースからも見えるようになっていきました。
⇒上記2・で指摘したとおり南相馬市では遺体安置所は避難者のいない原町高校第二体育館に設けられたため生活スペースから見えるような状況には絶対になっていない。明らかな嘘。

>警察官だけでなく、民間の避難者が検視を手伝うような状況で...。
2011年4月7日までは遺体は原町高校第二体育館に収容されそこで検視を終えた後に相馬農業高校にて家族による確認を行っていたためただの中学三年生であるあぶくま君が検視の様子を覗き見るようなことは絶対にありえない。明らかな嘘。もし本当に検視の様子を見ていたのならわざわざ避難所から原町高校第二体育館まで覗き見に行っていたことになるが??(参考:東日本大震災記録誌

 10・避難所に滞在していた期間

避難所に滞在していた期間について

避難所には約3週間滞在とのことなので2011年3月11日~2011年4月1日あたりまで滞在していたことが確定。ところが東日本大震災記録誌によると2011年3月16日から市外への集団避難を実施しており2011年3月21日時点で市内の避難所に残っていた避難者は171人。あぶくま君は「滞在している間は家族を探していた」とあるのでこの171人の中に残っていることが濃厚。あぶくま君は「網から網へと抜けていってしまったようです」とツイートしていますがばっちり行政に捕捉されてますけね…

 11・進学予定先はいわきの高校

高校に入学

⇒漫画でも出ていましたが「いわきの高校に入学予定だった」というのも事実だそうです。

記事が長くなりすぎたので分けます…




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