見出し画像

50万円以上するロードバイクに乗っている人はみんな脳に異常がある

 「アゲインスト(向かい風)やと、燃えるわあ!」。おそらく海馬が無いか壊れている友人がロードバイクの下ハンを握り、全力でペダルを回しながら叫んだ。それに呼応するように、その後ろでドラフティング(風よけ)する友人も、「巡航40キロでいこかあ!」と続く。

 ああ、帰りたい。僕は、風の影響を一番受けない最後尾にもかかわらず、死にかけになりながら集団に食らいついていた。この集団から千切られると、もう戻ることはできない。いや、戻ることができずに近くのスーパー銭湯に行ってツイッターをしていた方がよかった。

 「やっぱデュラええっすか???」

 「軽いし、変速はやいわなあ!!!」

 デュラ、とは、DURA-ACEというコンポネント(パーツ)のことで、声の主はフレーム自体を変えないまま、全パーツを、そのDURA-ACEに換装していた。そうとう軽くなったようだったが、かかった費用で柴犬が買える。普通の人間なら、柴犬を選ぶだろう。柴犬は可愛いし癒やされる。DURA-ACEなんて呼吸もしないし鳴きもしない。そのくせ、声にならない呪詛が「遠出をしろ、朝5時に起きてサイクルジャージに着替えろ」と責め立ててくる。人の血を吸う妖刀ムラマサのような機材だ。

 これは偏見ではなく事実だが、50万円以上のロードバイクに乗っている人は頭がおかしい。誇張や、noteだからおもしろ可笑しく揶揄してやろうと言うことではなく、みんな脳幹や海馬に重大な損傷がある。かくいう僕もそうだ。完全に頭がおかしいし、僕の友人だってそうだ。

 そもそも、自転車は移動する道具のひとつだ。内燃機関や燃料を要さず、人間の力のみで進むことができるという素晴らしい利点とともに、その価格の安さに惹かれ人々は庶民の足として愛してきた。

 昔、付き合っていた人に訊かれたことがある。1万円のママチャリと、貴方の60万円の自転車、何が違うの、と。僕は考えに考え抜いた。長考型の棋士のように、あらゆる可能性を脳内に浮かべながら。そして、ついに僕は、速度や軽さ、そういった俗っぽいものでは決して無い、もっと高潔で精神的な充足の差異だ、そう結論をだした。

 「1万円の自転車と60万円のロードバイクの違い、それは、価値観だな」

 「え?価値観?」

 あなたが言いそうなうざい答えだよね、そう続けてダサいカチューシャをつけた女は嘲笑った。余談だが、そいつは今リクルートで働いている。八重洲のビルにいるんだろう。もう僕には関係がないからリクルート本社ビルと、ついでに港区にでかい隕石が落ちて欲しい。そうすれば僕は星になったその女をきっと許せるだろう。

 

 「おーい、大丈夫?」。LOOKという、普通に車が買える値段のするロードバイクに乗った友人が減速して僕に近づいた。河川敷のサイクリングロードなので、一応、並走はよしとしている。

 「横風えぐいから、足まわらんなあ」。精一杯の言い訳だった。きっと横風がなくても、僕はもうだめだった。でもプライドがある。僕はパワーメーターというプロや競技者が使う機材を積んでいる。LOOKキチガイマンの友人達さえも使っていない。負けるわけにはいかなった。

 「おーい、ちょっとペース落としてえ」

 心優しき化け物、LOOKマンが言うと、前方で今にも巡航速度40km/hに達しようと加速していた友人が振り向き、ペダルをとめた。

 ゴリラどもがペダルを回すのをやめると、シャアアアアアアアアアア!ホイールのラチェット音が強烈に響いた。これは、ローディ(ロードバイク乗り)にとって屈辱の音だ。もう踏まないでも、貴方に勝ってますよ。ああ、僕の速さについてこられませんか、よしよし、待ってあげますよ。それはいわば”勝ち鬨”で、「この戦、勝ちましたよ~」と誇らしげに知らしめているようなものなのだ。

 負けられるはずがなかった。僕はこの中で最も偏差値の高い大学を卒業している。小学校中学校とゲットーのような地域で育ちながら、周りに流されず、凄まじい学力でトップ高校に進学した。有象無象を弾き飛ばし、前に前に突き進む学力に、みな畏怖し慄いた。その僕がだ、ちょっと何年も毎日ロードバイクに乗っているから、勝手に心肺機能や、あらゆる自転車を速く走らせる為の筋肉がついただけの脳筋ゴリラに忖度されている。

 僕は、物理がかなり得意だ。瞬時にドライブトレインにかける負荷を概算した。高い知能と高い知性を備え持った僕が負けていいはずがない。お父さん、お母さん、いや祖先の想いをこの両足に乗せ、僕はここにいるんだ。ふざけるんじゃねえ。


 「おいコラァ!もっとペースあげたらんかぁいっ!!!」

 僕の言葉に、先頭をひいていた男たちが、死にかけのセミが飛んで驚いた子供のような顔で二度見をする。僕は、人類の反逆におびえるゴリラ向かってギアを一段上げて踏み込んだ。300w(w/ワット は踏む力)から、一時的に800wを超えるパワーを出力する。みるみる僕のマシンは加速する。もともと平地での加速に特化したマシンだった。あっという間に追いつき、自転車に乗ること以外何も考えていない筋肉馬鹿どもに並んだ。風?そんなもんもう知らん。

 次の瞬間、35km/hを超える速度で、二人が同時にダンシング(立ち漕ぎ)をはじめた。僕も呼応するように、ダンシングをした。ギアをまたあげる。11枚のギアは、残すところ、あと2枚。トップスピードがもうそこに見えているのに、踏めない。疲労の限界にきているのだ。心拍数も見たくない。どうせ、とんでもないことになっているだろうことは僕自身が一番よくわかっている。踏めないなら、押し込むのみ。ここからは理論は要らない。

 僕はたった今から、理論を捨てる。下ハンを握り、力任せに引きつけ、心の中で叫ぶ。いっけぇぇぇ!

 

 気づけば、僕は風になっていた。シャアアアアアアアアアア。僕のホイールのラチェット音だ。やはり、フルクラムのホイールは上品でいい。この冬の空気に、よく調和する。まるで自然と渾然一体となったオーケストラの中にいる、孤高のコンマスだ。虫けらたちよ、この音色を聴きなさい。美しいだろう。

 ゆっくりと減速し、地面に足をついた僕は、すぐにポケットからスマートフォンを取り出した。

 「帰ります。さようなら」

 ラインを送ると、僕はスマートフォンの電源を切り、来た道を帰った。脳幹が壊れた化け物と同じように走るとどうなるか。怪我をする。僕は怪我をしたくないし、帰ってゆっくりとツイッターもしたい。

 後ろから何かが近づく気配がしたが、僕は知らないふりをして走り出す。冬の風の匂いがした。


よければ、こちらもどうぞ スターバックスコーヒーと京都大学

しゃべる生ゴミです @kanazawa_you

お気持ちだけで結構です。ありがとうございます。