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【試し読み】愛について語るときに我々の騙ること

Jブックス六郷です。乙一さん、上遠野浩平さん、秋田禎信さんに続いて、斜線堂有紀さんに恋愛をテーマにした小説を書いて頂きました。斜線堂さんの好きなものがこれでもかと詰めこまれたがっつり読み応えのある短編です!! 現在ウルトラジャンプにて『魔法少女に向かない職業』を絶賛連載中、こちらもチェックしてみてください。
この後、ミステリ作家の初野晴さん、石田スイさんと共に『JACK JEANNE』のシナリオを執筆している十和田シンさんにも、原稿を頂いています。いずれも恋愛をテーマにした作品です。1冊にまとめる企画を進めているので、年内に公にできたらいいなぁ。

作者プロフィール

斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)

第23回電撃小説大賞《メディアワークス文庫賞》を『キネマ探偵カレイドミステリー』にて受賞、同作でデビュー。『コール・ミー・バイ・ノーネーム』『恋に至る病』など、ミステリ作品を中心に著作多数。ウルトラジャンプで連載中の『魔法少女には向かない職業(作画:片山陽介)』の原作を担当。

愛について語るときに我々の騙ること


「俺さ、ずっと前から新太(あらた)のことが好きだったんだ。だから、付き合ってくれない?」
 そう言う園生(そのお)の顔は今まで見たことがないほど切実で、まるで知らない人のようだった。当然だろう。私は園生が誰かに告白する時の顔なんて知らなかった。それどころか、この男が、泣きそうなほど切実な恋をすることを想像もしていなかった。
 心臓が嫌な音を立てている。この告白を受けて、私達の関係がどう変わるのかの想像がつかない。私は園生が好きだし、泣いてほしいわけじゃない。
 私は園生の頬に手を伸ばし、柔らかなその感触を味わう。十年近く一緒にいるはずなのに、そこに触れるのは初めてだった。剝き出しの癖に、そんな場所だっただなんて妙だ。
 迷ってはいたけれど、選択肢は無い。もしここで園生の提案を断れば、彼は二度と私達の前に姿を現さないだろう。そんな気がした。私が真面目な顔で頷くと、園生は痛ましさと安堵(あんど)の混ざった顔で笑った。
 これでハッピーエンドであるということにはならない。
 何故なら、私は泰堂新太(たいどうあらた)じゃなく、鹿衣鳴花(かごろもめいか)だからだ。

    *

 食事には難易度がある。
 たとえばオムライスは難易度ゼロである。食べなければいけないものが全部一つに纏まっていてスプーンで食べられるのに、見た目が全然雑な食べ物に見えない。それでもデミグラスソースやケチャップのことが気になるならお粥とかをゼロ地点に置けばいい。私は不器用だけれど、そこまでの不器用じゃない。
 逆に難易度十は殻付きの海老とか、魚の干物とかで、これが全然上手く食べれない。手も皿も絶対に汚すし、被害を最小限にしようとすると味が全然分からなくなる。
あとは映画に出てくるような、てっぺんにピンの刺さっているハンバーガーとかも難易度十だ。ソースをこぼすし具もバラバラになる。十二センチ×八センチを綺麗に食べられる人間っているんだろうか? でも、私はそういう重量級のハンバーガーが好きで、二ヶ月に一度は食べたくなってしまう。
「うわ、何してんの」
「最近はどうせこぼれるから、予め具を全部分けてから、バンズに少しずつのっけて食べるの」
「それハンバーガーっていうのかよ」
 厚切りベーコンチェダーアボカドバーガーを解体する私を見ながら、園生は呆れたように言う。仕方がない。これは難易度十の食べ物なのだ。
 園生はこのバーガーが好きじゃないらしく、ここに来るといつもビールとポップコーンシュリンプで済ませている。それでも、私が提案すると断ったことがない。
 食事の難易度の話は結構共感が得られる。みんな食べたいものとその難易度のギャップに悩んでいて、細かく骨のあるものは基本的に無理だという話になる。
 でも、そこから誰の前なら難易度十のものが食べられるかっていう話になると展開が分かれて、恋人の前でなら大丈夫とか、逆に恋人の前なら駄目だとかいう話になって、言い出した私が置いてけぼりになる。
最終的に結婚したらどんなものでも目の前で食べるじゃんという話になって、それで和解だ。
 私が難易度十の食べ物を食べられるのは春日井(かすがい)園生か泰堂新太の前だけで、その二人はどちらも友人だった。しかし、今私は恋人になったばかりの園生の前でハンバーガーを仕分けして食べている。
「にしても平日十時にそんなもんよく食えるな」
「ここが二十三時までで良かったよ」
 便宜上、ここが初デートの場所になった。
 最近の仕事は残業込みで二十一時に終わる。となると、二人で出来ることなんて夕飯を食べることくらい。そして、私は今日ハンバーガーの気分だった。
 デートには向かない場所だと思っていたけれど、ハンバーガー屋は結構カップルが多かった。恋人の前で難易度十を食べられる人間達の群れだ。今まで気づいていなかったけれど、どんな場所にもカップルがいる。自分に恋人が出来て初めて気がついた。
「残業ってマジであんの?」
 そう尋ねる園生は、大学を卒業して以降、ずっとフリーランスの作曲家として活動している。残業を噂にしか聞かない人種だ。
「そう、繁忙期だから。園生もあったでしょ。納期が全部重なってた時期。心配した新太が泊まり込んでた」
「あー、あの時はな。FIXもヤバかったから生活が死んでた」
園生は順調にキャリアを積んでいる。最初はソシャゲのBGMなんかが主立った仕事だったけれど、最近はとある単館映画の劇伴を任されたりして、名前が知られるようになってきた。件の映画が公開された時は嬉しくて、新太と二人で何度も観に行ったものだ。
「鳴花って今何してんだっけ。保険会社は辞めたんだよね?」
「今はデザイン事務所で事務やってる。事務っていうか雑用だけど」
「保険会社の近くにあった中華料理屋当たりだったのにな。迎えに行く楽しみが減った」
「あー、あそこね。難易度が低い食べ物がいっぱいあって良かった」
「何だそれ」
 訝しげな顔をする園生の前で、私はべちゃりとアボカドを落とす。鮮度のいいアボカドはフォークで突き刺しても抜けてしまうくらいぬるぬるとしている。そんな失態を見ても、園生は私を嫌いになったりはしない。
 私は改めて『恋人』の顔を見る。
 初めて出会った十年前と、園生は殆(ほとん)ど変わっていない。髪色ですらそうだ。限りなく赤に近い茶色。赤銅色とでもいうんだろうか。園生はそういう派手な色でも問題なく似合う、ずるいくらいに綺麗な顔立ちをしていた。
 初めて放送部の部室で園生に会った時、その髪の色が夕焼けの色なのか染められたものなのか分からなかった。逆光の中でこちらを見つめる園生の瞳がやけに輝いていたのを覚えている。廃部寸前の寂れた放送部に、こんな華やかな人材がいていいものかと思った。
 園生の髪が夕焼け由来ではないことに気がついたのは、向かいに座っているもう一人の部員を見た時だった。そっちの髪は影のような黒で、夕焼けの侵食を物ともしていなかった。
 そっちが十年来の親友のもう一人、泰堂新太だった。
「私は新太じゃない」
 その時のことを思い出しながら、私はとりあえずそう言っておく。
「知ってるけど、いきなり何だよ」
「一番重要なことだと思ったから」
 だって、園生の愛情の真剣さについては痛いほど理解している。手の届く範囲で一番真剣な愛だ。その宛先が間違っているのは困る。
「何で新太じゃなくて私と付き合おうと思ったわけ?」
「それを受け入れてから言うのが鳴花らしい」
 そう言ってから、園生は真面目な顔をして「どっから話そうかな。俺がなんで新太のこと好きになったかとか?」と言う。
「でもまあ、新太が近くにいたら好きになっちゃうのかもしれないよね。覚えてる限りずっとモテてたし」
「まあ、格好良いからね、あれは」
「新太の頭の上に糸が見えるんだよね」
「糸?」
「ずっと上から吊り上げられてるみたいで」
 新太の背が丸まっているところを、私は見たことがない。
 泰堂新太は体格が良かった。どれだけ服を着込んでいようと、身体に通った骨が想像出来るような精悍さを携えている。一目見ただけでその骨を想像させる人間は珍しい。
 どこか近寄り難い園生に対して、新太はいつだって人に囲まれているような人間だった。彼の周りだけずっと陽が差しているような錯覚を起こす。
「じゃあ、俺が新太のことを好きな理由は割愛します」
「はい」
「その代わりに俺は今から鳴花の嫌なことを言います」
「え、やだよ」
 とか言いながら、私はその嫌なことの中身をもう察している。それを言う園生の顔がどうにも悲しそうだからだ。私も悲しい。その悲劇の中身を、私達は予め共有してしまっている。ややあって、園生は核心的な言葉を言った。
「新太ってさ、鳴花のことが好きなんだよな」
「あー……なるほど。いつから?」
「わかんね。この間宅飲みした時、鳴花が先に寝ただろ。あの時に言われたんだわ。『ずっと鳴花が好きだった』って」
「ずっとって。いつだよ」
「なー、本当になー」
 そう言って、園生が思い切りビールを呷(あお)る。
 ずっと好きだった、の『ずっと』の始まりにこだわるのは、私達がずっと親友だったからだ。男女の友情がなかなか難しいこの世界において、私達はどこに出しても恥ずかしくない親友をやっていた。
 高校時代に廃部寸前の放送部で出会った私達は、それからずっと仲が良かった。そこから進路が分かれ、全員が社会人になっても、休日を合わせて三人で遊んだ。誰かの家に泊まり込んでは夜通し飲んで、持ち寄ったゲームで朝まではしゃいだ。
 当然ながら、世間で言うところの間違いというものが起こったことはない。同じリビングで雑魚寝をしていても、男女で起こるようなトラブルは何も起きなかった。
いや、そもそもこの間違いって何だよ? と、私は余計なことを思う。でも、仮にここに偶発的なセックスが発生したところで、そんなもの間違いじゃなくて別解かもしれない。何が起こるにせよ、私は園生達との間に起こることを間違いとは呼びたくない。
ともあれ、私達の間には何も無かった。
「あの時マジで寝てた?」
「流石にそんなの聞いたら起きるわ」
 そう言いながら、空気を読んで寝たふりを続ける自分も簡単に想像出来てしまう。だって、今でも混乱しているのに、その場に居合わせたらどうなるか分かったものじゃない。
「大丈夫だった?」
「何が。別に修羅場にはならなかっただろ」
「そうじゃなくて。好きな相手の好きな人の話されて大丈夫だったのかっていう」
「それはまあ、予期してた嵐だから」
 そう言いながらも、園生は不意を突かれたような顔をしていた。噓だ。こういうことで園生は割と傷つく。真夜中の失恋は殊更に効いたはずだ。
「まあどうも。鳴花のそういうところ好きだわ」
「うん、ありがとう。沁みるよ」
 本当に沁みる。少なくともここで、園生が私を嫌いになっていなさそうなところに安心する。その真夜中の告白で傷ついているのは園生だけじゃない。私もだ。思わず溜息が出る。
「……きっついな、今更こんなことになるとは」
「今更っていうか、俺達も結構いい年じゃん」
 園生が言う。
「とかいってまだ二十六だけど。園生だって若手作曲家だし」
「いい年っていうか良い年なんだよ。二十六だと、ここから付き合い始めて結婚するのに丁度いいだろ」
 当たり前のように園生が言うので、いよいよハンバーガーの味が分からなくなってきた。園生の言うことは正しいし、自分達のことをより客観視出来ている。
「だから、新太も多分本気で告白とかするんだろうなって。で、ね」
「うん」
「俺が先に鳴花に告白して付き合っておけば、鳴花が新太と付き合うことはなくなるんじゃないかなって。鳴花は二股とかするようなタイプじゃないだろ」
「あ、まあ、そうだね。多分」
「だから、鳴花と付き合おうと思ったんだよ」
 それで、全部が了解出来てしまった。園生が誰を人質にして、何を要求しているのかがちゃんと理解出来てしまった。
 もし私が園生と付き合わなかったら、きっと園生は私達の前からいなくなるだろう。
 もう園生の家で朝まで飲むことも、園生が最近嵌まっているバンドのことを教えてもらうこともなくなる。今年の夏に行こうとしていたキャンプの予定も、きっと見直すことになる。そんなのは嫌だ。流石、春日井園生。自分の価値をよく分かっていらっしゃる。
 そういうわけで、私達は改めて恋人になる。


この作品の続きは「STORY MARKET 恋愛小説編」にてお楽しみください。


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