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<文春新書編集部より> ロシアのウクライナ侵攻を読み解く新書3冊

●はじめに

 文春新書では、これからnoteを運用していくことを決めました。まだ準備段階で、スタート時期や企画は定まっていませんが、連載の一つとして「〇〇〇(テーマ)を読み解く新書3冊」というオススメ本を紹介する企画を予定しています。

 そんなことを検討しているなかでロシアのウクライナ侵攻が始まり、世界中に恐怖と怒り、悲しみを生んでいます。そこで今回は、「本の話note」を使い、ベータ版としてこの問題を読み解くことができないかと考えました。

 本格的な文春新書noteの始動は少し先ですが、まずは「プーチンの戦争」について触れてみたいと思います。

文春新書編集部


●ロシアと欧州の綱引きの中心

 ロシアはなぜウクライナに侵攻したのか。氷解しない疑問とともに、電光石火の速さでキエフ陥落を狙ったであろう「プーチンの戦争」が長期化の兆しを見せています。「ロシア帝国」を復活させて帝国の皇帝になりたいというプーチンの誇大妄想的な思惑は明白に思われる一方で、真意がよくわからない。こんな戦争に何のメリットがあるのかと虚しい思いを抱く人も少なくないでしょう。背景を理解するためには、ロシア人の多くがウクライナに親戚友人を持つと言われるように(ゴルバチョフ元ソ連大統領の妻や母もウクライナ人)、兄弟関係にもたとえられる両国間の歴史の理解も求められます。しかし、その複雑な全体像をつかむのはなかなか容易ではありません。

 そこで、長年にわたってロシアと欧州の綱引きの中心であり、双方の緩衝地帯であり続けてきたウクライナという国の歴史的な成り立ち、今回の戦争の遠因となる2014年のウクライナ危機、さらにNATO(北大西洋条約機構)とEUの東方拡大が進む中でロシアが脅威を抱くに至った近年の地政学的な変化まで、ニュースを読み解くための手掛かりとなる新書3冊をご紹介します。

黒川祐次『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(中公新書、2002年)
池上彰・佐藤優『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』(文春新書、2014年)
小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書、2021年)

◇ ◇ ◇

●ウクライナという国の複雑な成り立ち

 まず、日本人には縁遠いウクライナの歴史について、言語・文化・宗教の観点から丸ごと一冊詳述されるのが、元駐ウクライナ大使・黒川祐次さんによる『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)です。首都キエフは中世に栄えたキエフ・ルーシ公国(後のロシア・ウクライナ・ベラルーシの基礎となる)に源流を持ちながらも、1991年のソ連からの独立まで「国がなかった」ウクライナ。多くの国が国民国家(ネイション)の獲得とその発展を最大のテーマとする一方、国家の枠組み無しで民族がいかに生き残ったかがウクライナ史のメインテーマであった――という歴史家の言葉が本書の冒頭で引かれているように、ウクライナは時々の勢力に翻弄される土地でした。

 13世紀にはモンゴルの支配下に、16世紀にはポーランド・リトアニアの支配下に。18世紀以後、国の東半分はスラヴ系の帝政ロシアに占領された一方で、西半分はドイツ系のハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)に属していました。さらに東半分は帝政ロシアによる占領後はソ連に吸収され、西半分は第一次世界大戦後にポーランド領になります。第二次世界大戦以後はソ連に吸収され、ウクライナ人居住地域は、実にキエフ・ル―シ公国以後初めて「ソ連の下のウクライナ共和国」としてまとまったのです。しかしロシア帝国下でロシア語化政策が行われ、ロシア人、ベラルーシ人との区別が曖昧だった東ウクライナと、多言語主義を採るハプスブルク帝国下でウクライナ語を日常的に話し、早くから「ウクライナ人」の民族意識が醸成された西ウクライナは文化を異にしていました。

 “親ロシア派”と“親欧米派”という二項対立の言葉が生まれた背景にも、こうしたウクライナ内部が内包する歴史的な断絶が影響している一方で、プーチンがこの東西の差異を強調して戦争を正当化したのは皮肉なことです。「ヨーロッパでウクライナほど幾多の民族が通ったところはない」「ウクライナが独立を維持して安定することは、ヨーロッパ、ひいては世界の平和と安定にとり重要である」という著者の結びの言葉が重く響きます。


●2014年の「ウクライナ危機」は現在に続いている

 東西ウクライナ、という括りよりもさらに解像度を上げて、ウクライナ最西部地域の「ガリツィア」地方とそれ以外の地域の差を押さえることの重要性が、池上彰さんとの対談集『新・戦争論』の中で、佐藤優さんによって語られています。現在ポーランドへの脱出口にもなっている中心都市リヴィウを含むこの地域は、言語だけでなく宗教の独自性もあってウクライナ民族意識の高まりが見られた場所です。ロシア正教を信仰する他の地域とは異なり、「ユニア(ユニエイト)教会」という東西の典礼を統一した特別の教会を持っていました。1930年代にソ連の農業集団化による食糧飢饉で、400万人とも1000万人とも言われる餓死者の出る悲劇に見舞われると、ソ連よりもナチス・ドイツに協力するほうがマシだとナチスに協力するウクライナ人が出てくる事態に陥ります。スターリンか、ナチスかという究極の選択の中で、まずナチスに加わったのはガリツィア地方のウクライナ人が中心だったのです。その負の歴史ゆえの貧しさが、ガリツィアに代表される西ウクライナにはあるといいます。

 クリミア半島の歴史や、日本の北方領土とのつながり、カナダやアメリカへの移民の多さをもめぐる詳述は本書に譲りますが、ウクライナ危機の起きた2014年に刊行された本書が捉えるウクライナ問題の認識は今もアクチュアルです。2014年にはウクライナの反政府勢力が親ロシア派のヤヌコビッチ大統領を解任し、首都キエフを脱出(マイダン革命)。ロシアがクリミア半島を一方的に併合し、ウクライナ東部で独立運動が発生。さらに東部ドネツク州上空でマレーシア機が墜落させられた事件は記憶に新しいでしょう。本書の末尾で次のように語る佐藤さんの言葉が印象的です。

 これまで「二〇世紀はソ連が崩壊した一九九一年に終わった」という見方をしていましたが、(略)二〇世紀は、まだ続いているのかもしれない。戦争と極端な民族対立の時代が、当面続いていくのかもしれない、と。(略)

 ウクライナ問題がなぜ解決しないのかというと、誤解を恐れずに言えば、まだ殺し足りないからです。(略)「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うようなところまで行かないと、和解は成立しないのです」

池上彰・佐藤優『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』(文春新書、2014年)より

 こんな非合理な戦争の引き金が21世紀に引かれるとは……と信じがたい思いがよぎる一方で、なぜいつの世も戦争が引き起こされるのか、そしていったん動き出したら引き返すのが難しい戦争の本質を言い当てているようです。


●ロシアが脅威と捉えたNATOの東方拡大

 さらにもう一冊、近年のヨーロッパの地政学的な変化を知る手助けとなるのが軍事アナリスト、小泉悠さんの『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)です。今回、ウクライナがEU加盟、NATO加盟することにロシアが強く反対し、NATOの東方拡大を自国に対する脅威と捉えていましたが、こうした一連の動きはロシア側にはどう映っていたのか。1999年のチェコ・ハンガリー・ポーランドのNATO加盟、2004年のバルト三国・ブルガリア・ルーマニア・スロヴァキア・スロヴェニアのNATO加盟は「オセロ・ゲームのような転換」であり、さらにウクライナ・グルジアにまでNATOが拡大すれば、ロシア以外の黒海沿岸諸国はすべてNATO加盟国ということになります。

「ロシアの振る舞いの是非はさておき、純軍事的な懸念の大きさは理解できないものではない」と書く一方で、小泉さんはロシアにとって受け入れがたかったのは軍事的な脅威よりむしろ、東欧や旧ソ連諸国に対するロシアの影響力が失われるという政治的側面ではないか、と言います。ロシア語で「大国」を「デルジャーヴァ」と言いますが、それは面的な規模の大きさを指し示すのではなく、「自らが秩序を作り出す側の国である」ことを意味しています。オセロが次々に白に返っていくのを見ながら、そして、旧ソ連諸国でNATO未加盟の国々の動向をにらみながら、ロシアの政治的な支配の及ぶ範囲の後退を食い止めようと躍起になったのではないかと。


◇ ◇ ◇

 ヨーロッパとロシアの境界に位置するウクライナは「ソ連にとってもヨーロッパにとっても決定的に重要な地域のナンバー・ワン」(『物語 ウクライナの歴史』)と言われています。そうであるがゆえに引き起こされた「プーチンの戦争」は、ロシア・ヨーロッパにとどまらず世界にとっての悲劇以外の何ものでもありません。今回ご紹介した新書は、現在の危機の理解を深めてくれる3冊です。


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