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わきまえていないのは #4

 この一週間強で味わったジェットコースターに乗っているかのような逡巡を言葉にせず、ロックフェスに参加するのは不誠実ではないかと思い、ここに率直な自分の気持ちを記そうと思う。

 はっきり書けば、今から参加するJAPAN JAMという野外フェスへの参加に「何の迷いもない」とは言い切れないです。感染症の拡大(無症状の人たちがウイルスを拡散する懸念を含めて)や医療現場の逼迫、休業に追い込まれた様々な業態を考えれば、「なんとかフェスがやれてよかったですね」とは到底言えない。

 ただ、外部のスタジオをレンタルして行っていたリハーサルの最中に緊急事態宣言が持ち上がり、自分たちですらリハーサルに費やした時間や費用や意味について考え込んだわけだけど、コンサートやフェスの現場に関わる人たちが費やした様々な時間やコストや心情を考えると、「中止が妥当ですよね」とも言えない。去年から続く長い自粛や、状況に合わせた様々な対策と工夫の果てに、ある種の希望として用意された「現場」を、踏みつけるようなことは言えない。

 引き裂かれている。

 ニュースを見れば、音楽フェスは感染の拡大に対する気の緩みの権化のようなニュアンスもあり、槍玉にされることへの憤りもあるけれど(それは自分が関わる業界の苦悩を知っているからだが...)、何よりも人々を相互監視に駆り立て、分断するような物言いに利用されて、一端を担ってしまっているという責任を少なからず感じる。

 音楽ファンが「エンタメでなく、他の業態はいいのか」と押し返すこともまた、市民の分断を生んでいると感じて、心が苦しい。市民同士が指を差し合って、お互いを責め合い、自分たちの自由をどんどん追い込んで狭めていくのは避けたい。

 日に日に状況が変わるなか、感染症の拡大に一役買ってしまうかもしれないという不安もある。また、本来批判されるべきは、政府の長期的なビジョンのなさではなかという強い思いも、反対の手にはきっちりと持っている。

 かたちは違えど、様々な迷いや葛藤や憤りを、多くの参加者(参加できない/しない人たちも含めて)やスタッフたち(家族も含む)がそれぞれに抱えていると僕は想像している。

 全肯定みたいな気持ちではとてもいられない。けれども、本来、音楽は夢のようなどこかではなく、政治や社会と切り離された別世界でもなくて、様々な思いや考えを持ち寄って、その上に成り立っている時間や空間だと思う。このクソみたいな現実の端っこで鳴らされるものだと思う。

 僕たちに与えられた演奏時間は50分。せめて、この厳しい現実の端っこに、一縷の希望のような瞬間や共鳴があると確信できるような時間にしたい。迷いも葛藤もすべて抱えたまま、その50分は、素晴らしい時間にすることに力を尽くしたいと思う。

 とても利己的な、「開き直り」とも言えるかもしれない。そういう批判は、自分の責任において、すべて受け止めます。

 そして、重ね重ね、コロナ禍の最前線に立つ医療従事者のみなさん、様々なライフラインの維持に関わる人たちに感謝します。僕たちの「巣篭もり」を支えてくれているすべての業態のみなさんにも。

 以下、自分の義務として、参加者へのメッセージを書きます。

 どうか安全対策、感染予防対策をしっかり行なってください。これまでのフェスを考えれば、会場内は「ガラガラ」と揶揄されてもおかしくない人口密度だと思います。けれども、往来の交通機関や道すがらで起きるかもしれない「密」はあります。どんな場所でも(例えば、広く「正義」を求めるような場所でも)、すべての人が聖者なんてことはありません。誰が何を呼び掛けようと、ある種の逸脱者は避けようがない(それを肯定するわけではありません)。けれども、誰かを感染させないという良心に基づいて行動するということは、自分の意思で選択できます。分断ではなく、友愛を。みなさんのそれぞれの選択を、僕は期待し、そしてリスペクトします。