サンクスツアーレポート翻訳

                        久利生亜津子

Absolute Skatingに浅田真央さんのサンクスツアーの記事が出ました。Absolute Skatingの了承を得て翻訳記事を載せます。

元記事のアドレスはこちらです。http://absoluteskating.com/index.php?cat=articles&id=2020maothankstour 素晴らしい写真もたくさんありますし、この記事をお読みになったら、ぜひ、元記事のサイトをご訪問ください。


浅田真央 サンクスツアー長野公演

浅田真央は引退後、次に何をしたらいいのか、途方に暮れていた。だが、ついに自分の道を見出した。サンクスツアーだ。彼女はこのツアーを自分のスケート人生の集大成とみている。

2018年5月に地方の小さなリンクである、新潟アサヒアレックスアイスアリーナでツアーはスタートした。真央はいくつかの理由で地方リンクを使うことを決めていた。氷を作るのに時間をかけなくて済む。大きな会場でアイスリンクを作るのには、非常に大きなコストがかかり、時間も5日ほどを擁する。真央は、熱心なフィギュアスケートファンばかりでなく、できるだけ多くの人に彼女のショーを見に来てもらいたいと考えた。そして、チケット代を比較的入手しやすい値段に抑えようと努めた。チケットはショーが行われるローカルエリア限定での先行販売を採用し、その地方の人たちがチケットを取りやすいように工夫した。現在まで日本国内で150のショーを行い、ツアーが終了するまであと1年となっている。

慶子と私は長野のショーを取材できるチャンスを得て本当にうれしかった。

真央はこのショーの前にすでに110のショーを終えていたが、私には初めての鑑賞であった。これは素晴らしい体験で、私がこれまで見たどのショーとも違っていた。80分休憩なしで行われたが、出だしから真央のスケートの世界に引き込まれて行った。彼女が現役時代のプログラムを使って、ある意味、その時代を振り返る形になっている。間違いなく、彼女の当時の演技を思い起こさせるが、また多くの違いを見ることもできる。振付を替え、音楽の編曲を替え、素敵なショーの雰囲気が醸し出されることで、新たな光を与えられていた。

真央自身が滑る曲もあるが、無良崇人や今井遥に代表されるほかのスケーターが滑る作品もある。だがいずれの場合にも、どのプログラムにも真央のエッセンスや、彼女がこのツアーに掛けた思いが反映されている。スケーターたちはショーの合間のビデオで、このツアーについての思いを語っていたが、そこで、真央が作り上げたこのショーの精神を通して、多くの事柄やたくさんの人達への感謝を持つようになったと語っている。彼らの演技を通して、見る人たちもそれを感じることができたはずだ。

最初に真央が黒いコートを着て、フードで顔を隠してリンクに登場する。それを脱ぎ捨てると、きらきらとした豪華な衣装が現れた。黒いコートは彼女の現役引退からこのショーを見出すまでの彼女の気持ちを象徴し、輝く衣装はこの道を見つけた彼女の喜びを表しているそうだ。その後、スケーターたちが真央と同じような衣装で一人ずつ登場する。真央は、このオープニング曲(This Little Light of Mine/ Smile/ What a Wonderful World)の歌詞が示しているように、すべてのキャストスケーターに輝いてほしいと話す。どのスケーターも素晴らしく楽しそうに滑っていた。真央自身が自分でオーディションを通して選んだスケーターたちだ。国内大会などでよく知っている顔もあれば、これまでよく知らなかったスケーターもいる。

ショーの内容を短く振り返ってみよう; オープニング曲中で真央はそれぞれのスケーターの名前を呼んだが、それはまるで楽しいパーティーに友人たちを招き入れているかのようだ。それぞれが自分に振り付けられた動きをして、そこで自分の才能や個性を表現しつつ、これからのショーへの期待を盛り上げた。

最初のソロナンバーはSo Deep Is The Nightで、今井遥が滑った。清純で愛らしい演技だが、動きがとても速くて滑らかなので、とても二年前に引退したようには見えなかった。音楽にとてもよく合っていて、非常に優雅だった。次にショパンのノクターンを滑った川原星は、強化選手として多くの国際大会にも出場していた。彼が試合に出ていたころ、これほど優美なスケーターであることに気づけなかったことが悔やまれる。もし知っていたら、もっと大きな声援を送ることができたのに。だが、試合を見ているときには、その演技そのものよりも結果を重視してしまうことが往々にしてあるものだ。いずれにしても、彼はここでは素晴らしい演技を見せて楽しませてくれた。この曲の後半は無良崇人が加わったが、彼は力強さと優雅さをともに持ち合わせている。踊るリッツの夜の時には、真央と橋本誠也がリズミカルに踊り、観客も一緒に踊っているような気分にさせてくれた。真央は衣装を素早く変えて、素敵なあなたの曲に合わせて、4人の男を鼻であしらうコケティッシュな女性を演じて見せた。真央自身も愛らしかったが、4人の男性(星、エルネスト・マルティネス、誠也)も勝るとも劣らぬ魅力を見せた。真央は最終的に四人のうちの一人を選ぶのだが、誰を選ぶのかはショーによって変わるようだ。

陽気で楽しい曲が終わると、ドビュッシーの月の光にのって、シックでロマンティックな女性だけの演技が始まる。手に白い球形の明かりを持っている姿はまるで月の上で妖精が躍っているかのようだ。虹の彼方に曲が変わると、彼女たちは虹色のリボンを手にする。難しい動きだ。女性スケーターは、林渚、ガンス・マラル・エルデン、山本真理、川内理紗、今井遥だ。誰もがとても美しかった。

次は、真央がバッハのバイオリン組曲を滑った。とても美しく芸術性の高いプログラムでバレエのステージを見ているような気持ちになる。ほとんど止まることなく非常に速いスピードで動きながら、時に同じ動きを素早く繰り返す、ピボットが美しく、スピンは速くて華やかだ。うまく言い表す言葉が見つからないが、これは卓越している。対照的にポル・ウナ・カベサはとても楽しさに満ちたプログラムだ。エキシビション用に作られた作品だから当然ともいえるが、それだけではない。だが、残念なことにこの曲を十分に楽しむ間もなく、音楽は仮面舞踏会に代わり、真央と遥を除くすべてのスケーターが氷上に登場する。まるでリンクがボールルームに変ってまったようだ。動きが早く、誰が誰かもはやわからない。誰もが同じように豪奢だ。そして、真央が黒い帯をしめ、襟を赤く縁取った赤と白の着物スタイルの衣装を着て、蝶々夫人を滑り出した。とてもダイナミックでしかも美しく、長い振袖とスカートが蝶々夫人の悲しみと喪失感を示すように動いていた。

私は今でも真央の2010年バンクーバーオリンピックでの真央のフリー演技(ラフマニノフの鐘)を覚えている。真央がオリンピックプログラムのフリーの曲としてこれを選んだ時、少し議論を呼んだ。フィギュアスケートの曲としてはあまりに重く暗いのではないかという人たちがいたのだ。だが、真央はこれを彼女の傑作の一つにした。このショーでは崇人が滑り、とても素晴らしいものになった。この壮大な音楽は驚く程、彼の熱い演技スタイルに似合っていた。彼のジャンプの質は驚くべきものがある。トリプルルッツやトリプルアクセルはとても高くて、見ている人たちは思わず声を上げていた。さらに、トリプルアクセル―トリプルトーのコンビネーションもクリーンに下りた。そして、イーグルと言ったら! 見のがすことはできない。

「ジュピター」; 真央がこの曲を始めてエキシビションプログラムとして選んだ時、日本は東日本大震災の苦悩の中にいた。彼女は日本中のこれを見る人たちに癒しと励ましを届けた。ここでは、女性スケーターが水彩絵の具で描いたような緑がかった衣装でこの曲を滑った。彼女たちは、再び妖精のように舞い、美しい照明の効果も相まって、まるで神話の世界で共に楽しんでいるような演技であった。祈りと神秘の世界がそこにあった。真央は2016-17年シーズンには、二つのプログラムでリチュアルファイヤーダンスを選んだ。公式プログラムによると、黒い衣装はショートプログラムを、赤い衣装はフリープログラムを表しているということだったが、真央自身は黒い衣装で、同様に黒い衣装を身に着けた崇人と一緒に滑り、どちらも謎めいて見えた。何か不穏な雰囲気が演技中の氷上に漂っていた。少し経つと次赤いドレスの女性たちが現れ共に滑ったが、それはまるで、善と悪、光と闇が戦っているように見えた。突然明かりが消えしばし、闇が訪れる。そして、明るい世界に赤いドレスが現れた。女性たちは美しく情熱的に滑る。まるで善と光が勝利を収めたことを示しているようだった。

フィナーレの前の最後を飾ったのは、ソチオリンピックのフリースケートでの魂のこもった演技で、誰もの記憶に残っている傑作の、あの曲だ。ラフマニノフのピアノコンチェルトNo.2(タチアナ・タラソワ振り付け)。真央はモスクワで来た衣装を着ていた。その演技は感動的で、私は(私ばかりでなく見ている人たちすべては)涙を抑えられなかった。私たちはソチでの演技を思い出したばかりでなく、私たちの心に深く残っていて、今でも希望を与えてくれる彼女のスケート人生をも思い起こす。真央だけではない、一緒に滑るほかのスケーターも忘れてはならない。トリプルルッツ―トリプルトーを決めた星はとても優雅だ。エレガントなエルネスト、表現力豊かな誠也、スーパースター、崇人。そして、演技の終わりに真央は情熱的なステップシークエンスを見せ、観客はそれまでの最高の興奮を見せた。大声の大歓声にふさわしい演技った。

フィナーレでは、愛は翼に乗っての曲にのせて、このツアーに掛ける真央の思いが紡ぎだされた。前向きで明るく感謝をこめて。たくさんの花がプロジェクションマッピングで描き出され会場を美と幸福な気分で満たした。このツアーのすべてのメンバーはそれぞれに自分の花や色を持ち、それが集まってチームワークとなり、このショーを作り出していると真央は話した。彼女はまた、花の一つ一つが感謝を表していると付け加えた。花々は同様にツアーのロゴとしても使われ、このツアーの精神を表現している。フィナーレに話を戻すと、真央を含めすべてのスケーターが一人ずつ氷上に登場してくる。すべてのスケーターが最高に素敵だったが、とりわけ真央の感動的なスピンが印象的だ。本当に特別の瞬間だった。すべての演技が終わると、真央とスケーターたちは、観客が長い称賛の拍手と声援を送る中、挨拶を繰り返した。そこには、大きな何かを与えた演技者たちと、それを確かに受け取った観客たちの間に流れる満足感というような特別の雰囲気が流れていた。

真央のサンクスツアーはほかにはない、特別なものだ。私は完全に引き込まれ魅了された。真央は、このツアーにオファーがあれば海外に出も喜んでいくと言っている。もし興味がある人がいたら、ぜひ行動を起こしてくれることを願う。

真央はスケーターとしてはめったにいない選ばれた存在だが、人としても素晴らしいということをこのショーを通じてわかった。ありがたいことに、ショーの間に短いインタビューを真央と崇人にすることができた。彼らの答えを通して彼らの素晴らしい人間性の一端でも見出してくれたら嬉しく思う。ショーの合間に行われたので、時間は短いが、どれほどくつろぐ時間が必要かということを考えると短くとも当然だ。時間を割いてくださったことに深く感謝する。

浅田真央: 
Q: 今年が三年目になりますが、手ごたえはどうですか?
A: 一年目は何もかも最初から始めなくてはいけなくて、これまでショーを作ったこともなかったので、あっという間に過ぎてしまいました。二年目を迎えられるとは夢にも思っていなかったので、とてもうれしかったです。プログラムにも慣れてきたので少し手直しもしました。そしてこれが三年目で、このショーの最後の年になるのですが、すべての経験をしっかり受け止めながら滑りたいと思っています。

Q: 三年目に特別な目標はありますか?
A; そうですね、曲の順番は変っていないのですが、衣装や曲を少し変えたりしています。日々いろんなことが進化しています。

Q: 今後、このツアーを続けていく予定はありますか? 四年目に入るとか、海外公演を行うとかは?
A: いいえ、四年目はありません。でも、海外公演に関しては、モンゴルに行く話があります。仲間のマラルの出身地だからで、今スケジュールの調整中です。まあ、海外公演の依頼が来たら、前向きに考えたいと思います。

Q: 耳が聞こえない子供たちと一緒にタップダンスをしたり、震災被害地の子供たちを力づけたりしているビデオを見たことがあります。チャリティーにご興味はおありですか?
何か、今考えていることがあったらお聞かせください。
A: できることをどんどんやっていきたいと思っています(マネージャーから、真央はパラアスリートをサポートする運動をに力を貸していて、もう三年目になったと説明があった)。それから、日本には地震が多いので、被災地に行って、そこで多くの人達にお会いしたいと思います。皆さんの力になれたら嬉しいです。

Q: このショーが終わった後、他のスケーターたちはどうしますか? 
A: 私はスケートを通して私を支えてくださった皆さんに感謝の気持ちを表したいと思って、このツアーを始めました。でも、今では、このショーに関わったスケーターたちみんなに深い感謝の念を持っています。最後まで私の感謝の思いをすべての人たちにお見せしたいと思っています。これが終わればみんな、新たなスタートを切って、それぞれの道を進むことになります。みんながこのツアーに参加したことを通じて何かを得られたと思ってくれたら幸せです。このショーに参加したことをよかったと思ってくれたら嬉しいですね。


無良崇人:
Q: このショーに特別な思いはありますか? ほかのショーとはどんな違いがあるでしょう?
A: そうですね、他のショーではほとんどの場合、ゲストスケーターは3回か4回くらいしか滑りません。オープニングとフィナーレ、それと自分のプログラムを一つか二つ。でも、ここでは最初から最後までずっと出ています。クルーとしてですね。それと、立ち上げから参加していて、その辺がほかのショーとは全然違うところです。自分がいい演技をするというだけでなく、ショー全体の効果にも関心があります。ショーの出来は僕たち10人全員がお客さんに喜んでいただけるものを全体として見せられるかどうかということにかかっています。ですから、いいショーを作るために若いスケーターたちの声にも耳を傾け、配慮をする必要があります。三年目になってみると、若いスケーターたちの話を聞いたり、どうやったらショーがよくなるかなどを話し合うことが大事だと感じています。最近、女性のパートを少し変えたのですが、それでショーがよりよくなったと感じています。男性スケーターたちもそのことで刺激を受けて、自分の演技に関心を払うようになり、どんどん良くなっていってます。例えば、ラフマニノフの部分とかですね。

Q: 言って見れば、このサンクスツアーの中で無良さんは他のスケーターたちのお兄さんのような役割をしているということでしょうか?
A: いや、そういうわけでは…(マネージャーの声がかかった。「そうです、その通り。自分で『はい、僕はお兄さん役をしています』とは言いづらいですから」。すると、真央が会話に入ってきてこう言った。「彼はお父さんみたいです。私たちにとって頼りになる人で、そこにいるだけで支えになってくれてます。私たちはほとんど同い年なんですが、すごく頼りにしています。口を挟んじゃってごめんなさい」」

Q: コーチになるお気持ちはありますか?
A: そうですね。コーチ業には興味があり、そのためには勉強をしなくてはいけないと思います。でも、今はコーチになりたいと思っても、現状を考えると難しいでしょう。ショーがあるので一週間おきにリンクを離れなければならず、生徒を持つのは無責任だと思います。でも、将来はコーチ業に専念したいと思っています。

Q: 無良さんには男性ファンもたくさんいるようですが?
A: まあ、そうですね。僕はゲーム関係のショーで滑ったんですが、そこに沢山の男性の観客がいたんです。僕を気に入ってくれて、サンクスツアーにも僕を見に来てくれました。男性がフィギュアスケートに興味を持ってもらえることは有り難いことと思います。観客の90%は女性ですから。自分で滑りたいという男性たちもいて、もうすでに始めている人もいます。こうしたことで、フィギュアスケートに貢献できた部分もあるんじゃないかと思っています。今、男性を中心としたイベントも始めていて、4月に岡山でやる予定になっています。もうすでにたくさんの男性からも申し込みが来ています。

Q: プロスケーターとして、若いスケーターたちに伝えたいことはありますか?
A: 今の若いスケーターたちは僕たちよりもずっと技術的に高いので、特に言いたいことは思いつかないですね。もしアドバイスがあるとしたら、スケートのキャリアを通して自分を確立してほしいということでしょうか。演技を通じて、自分が何者であるかを見つけて表現するということですかね。僕は選手生活の最後になってやっと、このことを意識しましたが、それをわかっているかいないかでは演技に大きな差が出ると思います。

Q: プロスケーターの中には引退後に表現力が大きく増す人たちがいます。無良さんもその一人だと思うのですが、そういうことはどうして起きるのでしょうか? そのことから若いスケーターたちが学ぶことはありますか?
A:  それは、僕が滑りなれたものと違う音楽を選んでいるからでしょうか。サンクスツアーでは、今まで考えたこともない音楽を使わなくてはならず、そのため、今まであまり見たことのない真央の演技をしっかり見ました。プロフェッショナルスケーターとして最も重要なことは、どれほど観客を巻き込めるかということだと思います。現役時代にはジャッジが一番でしたから、大きな違いです。選手だった頃にはそういうことを考えることができませんでした。ですから、今まで考えたこともない何か新しいものを取り入れてみるといいと思います。自分自身のスタイルを再評価することができ、また、新たな自分を見出すこともできるのではないでしょうか。


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