djthomasjp / 前田智成

前田智成 / 職業ドイツ語です。 日本を愛する特殊な日本人です。 ドイツ語で sach…

djthomasjp / 前田智成

前田智成 / 職業ドイツ語です。 日本を愛する特殊な日本人です。 ドイツ語で sachlich (ザハリッヒ) という語があります。事実に即したとか客観的なといった意味合いです。現在の日本語の世界が喪失した「事物に即して」ものごとをとらえることに強く憧れます。

最近の記事

対数コンピューティングの提案

0,1,2,3.4,5,6,7,8,9 という数は、本来強力にべき乗/指数関数で動いている宇宙や現象が冷却・定常化して誕生して落ち着いちゃった生物ヒトが自らの指とか個数である石とかを手がかりに開発したもの。実はいびつな等間隔な割振りによる数世界解釈。その非整合性の修復が数学史である。 宇宙発生は佐藤勝彦らが138億年前の「インフレーション」により起きたと解明しており(宇宙論I、日本評論社 2008)当然極度のべき乗で膨らんだ。受精卵の分裂は2のn乗。この時間を逆回しに急速に

    • シン・東京サヴィヌルバッハ 2024/03/27 新宿ピットインの報告

      シン・東京ザヴィヌルバッハ、新宿ピットイン / つぼぐち祭II初日。大幅に遅刻したところ120席すべて埋まっており、外国人観光家族グループが去った最後列2列め。 セカンドキーボードの壷坂健登ばかり見ていた。とにかく嬉しそうな表情でずっと揺れている。完璧にタイムに immersive を達成している。音楽における伸び縮みするタイム(べき乗~対数の往復と同時存在)を体が完全に吸収していて、で、いざ出番というかバッキングの和音やソロになると、いち早く腕を構えて、しかし鍵盤への着地

      • 望月新一教授(京都大学数理解析研究所)あてのメール

        初めてご連絡差し上げます。私は、ドイツ語翻訳・通訳者で30年間の経験がある者で前田智成と申します。ドイツ語論理やドイツ技術に触れ、考察する中で得た数理的アイディアについて、見ていただければと思い、メールいたします。 貴大学宇宙論の佐藤勝彦教授が確立された通り、膨大なポテンシャルを持つ火の玉のインフレーションから現宇宙が指数関数・べき乗的に拡張し発生し、その後定常化、安定化した状態でヒトが想定したのが現在の数字です(遠山啓『数学入門』岩波新書)。この定常化している時期は、宇宙

        • 蓋然性 - 最初で最後の楽章

          ちょっと美しい統計学みたいな話を。 可能性 possibility ではなく蓋然性 probability で事象をとらえることに重点を移したらどうかと考えています。 「可能性が高い(低い)」という表現には、切り捨てて顧みないものが多すぎるのではないかという見地です。それであれば、「でない(である)蓋然性が高い(低い)」に置き換ようと試みてみると、正確に拾い上げる対象が全部になります。 加算ですべて処理できるんです。 なんだ、そんなことか、という実感で、既知のような気もします

        対数コンピューティングの提案

          手首をつまんでヒジ肩をゆするましょうよ

          少なくとも35年間、右ヒジと左ヒザの痛みを抱えて暮らしてまいりました。 中1の時、あだち充のマンガ『タッチ』を読んでいると、上杉達也が腕立て伏せを100回やって、キャッチャーから約束の500円をせしめる場面があり、これはイイ!と考えたのですが、当時の俺は虚弱であり、20回で打ち止めでした。でも、1日1回くらいは増やせるんじゃん?そしたら80日で100回だ!と簡単な算数ですよ。うん。ごく普通にその80日後、100回に到達しました。もちろん、俺に500円玉の褒美をくれるキャッチ

          手首をつまんでヒジ肩をゆするましょうよ

          蓋然性を。可能性ではなく。

          ちょっと美しい統計学みたいな話を思いついたので。 可能性 Possibility ではなく蓋然性 Probability で事象をとらえることに重点を移したらどうかと考えています。 「可能性が高い(低い)」という表現が切り捨てて顧みないものを、「でない(である)蓋然性が高い(低い)」に置き換ようと試みてみると、正確に拾い上げる対象が全部になります。 加算ですべて処理できるんです。 なんだ、そんなことか、という実感です。知ってた知ってた。

          蓋然性を。可能性ではなく。

          無の⾳を響かせる勇気 − “Let nothing sound!”

          ピアニスト横山博リサイタル(2022年3月27日、豊洲シビックセンター)のために 無から出て、無に帰す。 無に帰して、無から出る。 ⾳は消えゆく。 ⾳は⽴ち上がる。 「沈黙という ものはない。何かが⾳をたてながら つねに起こっている。 いったん本当に聴き始めたら 誰も考えることなどできない。 これは⾮常に単純だが、 きわめて急を要することだ つぎにどうなるかは神のみぞ 知る」 ジョン・ケージ(1957)*注1 ⾳楽家が演奏を始める。 ⾳を出す⾏為

          無の⾳を響かせる勇気 − “Let nothing sound!”

          「無の非在」; 高橋恭司氏とのやり取り

          *高橋恭司氏は instagramアカウント @kyojipic の写真にずっとニーチェのテキストの引用を添えて投稿していた。2021年11月22日の投稿のテキスト 「いずれにせよヘラクレイトスは、存在とは空虚な虚構だと主張した点で永遠に正しい。『仮称の』世界こそが唯一の世界である。『真なる世界』はただ、外から持ち込まれた虚偽の世界である、 ニーチェ 「偶像の黄昏」からの引用」 を見て、この方には自分の構想が通じるのではないかと感覚を得て、2021年11月25日に初めてダ

          「無の非在」; 高橋恭司氏とのやり取り

          "Nothing lose its nothingness."

          Nothing. There was nothing. Nothing was so rich, full of phases and qualities, and dynamic. Once nothing became hollow or swelled. This movement tended to be smoothened naturally and back-movements always obtain too much impetus. So as a re

          "Nothing lose its nothingness."

          無のへこみ/ふくらみから存在へ

          無について考えると、無は豊饒で、すなわち動的であり、ある様態ではふと深化し、へこむ/ふくらむ。その動きを均そう、戻ろうとして、常に勢いは余るので、へこみはふくらみに、ふくらみはへこみに転じて非在化する。このへこみ/ふくらみは粒子状や球形などでなく、歪つなクニュッとした形状である。その歪つさがいくつか(数では言えない)まとまり、「有」として存在となった。というのが私たちの宇宙の「存在」のたまたま起源である。極小の存在のまとまりがどれほど重なれば超ひもになるのだろうか。 超ひも

          無のへこみ/ふくらみから存在へ

          音の不一致と言葉の不一致、Out of tune.

          ピンク・フロイドのウルトラ超傑作 "Dark Side of The Moon" の最後の曲 "Eclipse" (蝕)の最終盤で Everything under the sun is in tune, But the sun is eclipsed by the moon. と歌っている通り、「太陽のもとすべては調和がとれている(でも太陽は月に蝕われちゃうもんねー)」を英語では in tune と表してます。 調子が合う事を in tune と述べていることで、複数

          音の不一致と言葉の不一致、Out of tune.

          無こそがすべて、無のみがすべて。Nothing But Nothing.

          私たちが自らは「存在」、すなわち「有」という自己認識をしているがために、「無」とは何ぞや?という問いを発してしまう。まるで有と無が同じ天秤の両側の皿に載せられているかのような観察をしているわけです。するとそこに、その天秤を容れる「場」があるはずではないか。それは「空」ではないのか?!そうだ、空だ!と考えを進めてしまいがちです。 誤りです。 前のテキスト「無の非在 - 存在を疑い抜く」で記したように、有は無の異形にすぎません。無の立場 (そんなものはないのだが) から観れば

          無こそがすべて、無のみがすべて。Nothing But Nothing.

          俺が文化だ!われ=われが文化だ!

          #WeNeedCulture とか言ってるから弱いんですよ。#WeAreTheCulture #IAmTheCulture と開き直りましょう。俺が文化だ!あんたは何だ?おこぼれを頂くより、自分からブン播け! 俺が文化でなかった瞬間は一瞬たりともないです。 俺をドイツに17歳の時に送り出してくれた作家の小田実は晩年、「"I am Japanese." というのは止めた、”I am Japan."だ」と繰り返し述べていました。属性を人から与えられている内は限界あり。 I

          俺が文化だ!われ=われが文化だ!

          Exclude を排除せよ!Be Included!!

          なんで私たちの暮らしがこんなに苦しいかというと、知恵や労働がどれも exclude の方向に悪用されており、私たちもそれにホイホイいつのまにかノセられて、富を exclude する奴らのおこぼれをピヨピヨとついばんでヨシ!と誤った行き方に転落しているからです。Include にただちに方向転換しましょう。たかだか100億円だか200億円だかしか持ってないチンケな野郎を羨ましがって見つめることの愚かさ。法律も経済も exclude のためばかりに誤用されている。Exclude

          Exclude を排除せよ!Be Included!!

          無の非在 ー 存在を疑い抜く

          Das Nicht-Dasein von Sein oder das Nicht-Dasein von Nichts. Non-availability of something or non-availability of nothing. 有の非在または無の非在。 -----  「存在」について考察することは西洋哲学において主たる柱となってきた。西洋とは、自らの存在を自覚し、その存在とは何か?存在の起源はどこになるのか?を縷々考察し、その成果のみを構築してきた総体と言え

          無の非在 ー 存在を疑い抜く

          有の非在または無の非在。

          書き下すと、「存在者(存在物)の非在または非存在者(非存在物)の非在」。 やっと日本語表現が定まりました。 井筒俊彦「意識と本質」を読んだことできわめて多くの知見を得られました。今後追って紹介したいと思います。 さっきNHK Eテレで佐藤勝彦と千住博の対談を放映しており、これも示唆だらけの良い番組でしたが、佐藤のMultiverse理論と初期のインフレーション宇宙像を紹介していました。無(真空)からドッカ~ンと発生した姿を有の誕生とするのでしょうが、「無の非在」の破壊がク

          有の非在または無の非在。