藤田孝典先輩,大丈夫ですか???~岡村隆史さんの騒動を受けて思ったひとりの後輩社会福祉士の戯れ言~


岡村隆史VS藤田孝典が燃えている(以下,この記事においては敬称略)。

岡村隆史がラジオ番組において性産業をめぐる失言をし,これを藤田孝典が叩き続けた。
叩き方は謝罪を求めるだけではなく,番組降板を含めた厳正な処分も必要ではないかと示唆するものであった(参照)。

ネット上でかなりの「岡村叩き」がおこったのは,おそらく藤田さんが最初に書いたこの記事がきっかけだ。番組降板を求める署名運動まで巻き起こっている。

ラジオ番組で岡村隆史は謝罪をした。
しかし,謝罪後においても批判は止んでいない。
謝罪後における,先日(2020.5.4)の藤田さんのツイートがこれだ。
『岡村さんを追い込んだのは岡村さん本人の言動』
実に容赦ない。

ところで,藤田さんは社会福祉士だ。

社会福祉士とは,国の登録を受け,社会福祉士を名乗って,困った人の福祉に関する相談に応じて,助言や指導を行ったり,関係者との連絡や調整を行ったりする専門職だ(社会福祉士及び介護福祉士法2条1項)。

藤田さんがいつ社会福祉士になったのかは定かではないが,かなり前のことだろう。

これに対して,私は今年の4月に社会福祉士として登録を受けた。

つまり,藤田さんは私にとって社会福祉士の先輩なのだ。キャリアがかなり違うだろう。いわば,新人(私)とベテラン(藤田さん)だ。
(ただし,全く面識はない。ただ,同じ資格を保有しているという意味において先輩と後輩の関係であると表現している。)

幽遊白書(魔族として覚醒する前)の霊界探偵で例えると,浦飯幽助と仙水忍くらいの違いはある。藤田さんに「君の社会福祉士としての能力値を10とするとオレは100だ」と言われても仕方のない状況だ。

その先輩が,今回,岡村さんの騒動で話題になったのだが,私は,正直言って藤田さんのアプローチに「社会福祉士としてどうなのだろう」という違和感を覚えていた。

確かに,岡村さんの発言は批判されてもやむを得ない。
しかし,それゆえに,社会福祉士が岡村さんをネットで叩き続けるのはいかがなものか。

そう思ってネットを探っていたら,どうやら藤田さんの今般に行動に違和感を覚える福祉職はそれなりにいそうだ。例えば,次のような発言がみられた(それぞれ,異なる人物による発言である)。

・社会福祉士を名乗って発言するのを控えてもらいたい
・謝罪し土下座している相手の頭を足で踏みつけ滅ぼすのが弱者の味方である社会福祉士のやることか。
・藤田さんの本意でなくとも発言によって傷つき恐怖を感じる者もいるはずだ
・「社会福祉士は・・・」と,あたかもほかの社会福祉士も同じ考えであるかのように言うのはやめてほしい
(以上はTwitterでみられたものを表現を変えて紹介)

 クローズなネット環境でも福祉関係者(あるいは福祉職をめざすもの)による次のような意見がみられた(それぞれ,異なる人物による発言を表現を変えて紹介)。

・社会福祉に従事する人は,非審判的態度(相手を裁かない態度)で事にあたるべきだ。
・発言者(岡村さん)が強者であったために声高にでしゃばること自体疑問である。
・間違いを起こした者を攻めたり排除しようとする考え方は社会福祉士以前に人としてどうか
・社会啓発という観点では,1人の人を責めているようにしか見えず不適切だ。

浦飯幽助は先輩である仙水に「よぉ先輩,聞くところによるとトチ狂ったそうじゃねーか」と言った。そこまで強烈な表現でなくとも,藤田さんの今般の行動に強烈な違和感を覚えている福祉職は相当いるはずだ。

その違和感の正体が何なのか。それを探る一つのヒントにもなるであろうから,以下,私の違和感を説明してみる。もっとも,藤田さんからは「誤解だな 真実に目覚めたのさ」と言われるかもしれないが。

 ※台詞は「幽遊白書」(冨樫 義博さん)のパロディである。

◆◆◆

前提として,岡村隆史氏の発言(岡村発言)は批判されてもやむを得ないものだ。この発言により傷ついた女性も確かにいるはずだ。あるいは,男性でも傷ついた者がいるかもしれない。

発言の内容や公共の電波での発言であることも考えれば謝罪があって然るべきものとは思う。

もっとも,藤田さんは直接的には岡村発言の対象ではない(岡村さんは藤田さんを念頭において発言したわけではない。当然だが。)。岡村発言の対象(これによりダイレクトに不快感を覚える人)は女性,特に,貧困ゆえに性産業につかざるを得なくなる女性である。その意味で,藤田さんは岡村発言の直接的な被害者ではない。

直接的な被害者ではない第三者がなぜ岡村さんを叩くのか。これについてはアドボカシー(権利擁護/代弁)という考え方で説明できる。

社会福祉の世界では,困っている人に代わって福祉職が言いたいことを代弁してあげる,という考え方があり,これをアドボカシーという。藤田さんが貧困女性の立場を「代弁」しようとしたこと自体は社会福祉士として特に間違ってはいない。

しかし,藤田さんのアクションに対する違和感の一つ目は,代弁の内容が適切だったのか,ということだ。誰かを「代弁」するためには,その誰かが何を感じているのか,何を言いたいのかを細かく吟味することが必要だ。そうしないと「いや,私はそんなこと言って欲しくないんだけど」ということになりかねない。当たり前の話である。

社会福祉士になるにあたって学ぶ原則に「自己決定の原則」というのがある。これは,自分の行動を決定するのはあくまでクライアントであるという考え方だ。社会福祉士が勝手に「クライアントはこのように困っている」と断定して「代弁」を行うことは,この原則にもそぐわない。

ちょっと考えれば,藤田さんの記事について,性産業の当事者が不快に思う可能性があり得ることは容易に想定できる。藤田さんの記事は性産業が貧困ゆえにやむを得ずにつく(あたかも)「かわいそうな仕事」であり「その仕事はなくなればいい」ということが前提とされている。

少なくとも,そう読み取られてもおかしくない文面なのだが,その考えに異論を挟む性産業の当事者は必ずいるだろう。「そんな偏見をもたれたくない」「この仕事がなくなったら困るんだ」などと。

藤田さんのアクションは,この点を吟味していなかった。藤田さんの投稿については「当事者コミュニティの人たちに草稿をみてもらわないと大概当事者らは傷つくか不快な気持ちになる原稿となる可能性が高い」という批判があがっている

この批判については,藤田さんはぜひとも応答すべきである。それが「代弁」者の責任であると思う。

まとめると,福祉職が何かを「代弁」するときには,当事者(本件では性産業従事者)がその代弁により何を感じるか,代弁を望んでいるかを徹底的に考えること。それが社会福祉士としての姿勢の基本である。

それを行わない「代弁」は当事者にとってかえって迷惑になり得るのではないか,ということを藤田さんには思い出してもらいたい。

◆◆◆

次に考えるべきは,藤田さんの発言の目的が何なのかということである。

目的が「貧困ゆえに実際にはつきたくない性産業に女性が従事せざるを得ない事態をできる限りなくすこと」だとすれば,その目的自体に異論はない。

しかし,岡村隆史氏個人を批判しても,その目的は何ら達成されないことは明らかだ。藤田さんは,目的達成にとって関連性があまりにも薄い「敵」(岡村さん)を作って叩いている。私にはそう感じられる。

もちろん,岡村発言を叩くことは,岡村さんの発言が許されないことを社会に知らしめる,という限度で意味があるかもしれない。

しかしながら,社会の改善を目的にいち個人が激しく叩かれてもかまわない,というのは「全体主義」の思想であり,個人が社会に縛られずのびのびと生きることを手伝うべき社会福祉士がもっとも嫌悪すべきものである。

社会福祉士が守るべき倫理綱領には,次のように書かれている。

「社会福祉士は,すべての人間を,出自,人種,性別,年齢,身体的精神的状況,宗教的文化的背景,社会的地位,経済的状況等の違いにかかわらず,かけがえのない存在として尊重する

この「かけがえのない存在」に貧困に陥った女性が含まれることは当然だが,岡村隆史氏個人も「かけがえのない存在」である。

一人の個人の「失言」に対して,執拗に謝罪を要求し,謝罪をしたあとも叩き,番組降板も含めた厳正な処分が妥当であるかのような記事を社会福祉士が書くのは正しいのだろうか。少なくとも,岡村隆史氏個人を「かけがえのない存在」として尊重していないことは間違いないだろう。

岡村隆史氏個人にスポットライトをあてると,うつ病にかかっていた可能性がある。少なくとも,ネットではその類の情報が相当出てくる。

うつ病に現にかかっている,あるいはかかっていた人間を世間が徹底的に糾弾すれば,その人がどういう精神状態になるか,場合によっては自殺のおそれさえあるのではないか,というのは社会福祉士としては当然想定しなければならない。

藤田さんは,このようなことまで考えて「かけがえのない存在」であるはずの岡村隆史氏を糾弾しているのだろうか。大バッシングによって彼の精神が破壊されてもそれは岡村隆史の「自己責任」なのだろうか(ちなみに,「自己責任」という言葉は社会福祉士が嫌う言葉の一つである。藤田さんもこの言葉が嫌いであるはずだ。)。

藤田さんに問うてみたいのだが,もし,岡村隆史氏個人が社会福祉士としての藤田さんに「世間的にバッシングを浴びて心からつらい。仕事も何もする気がおきない。番組も降板され,あらゆる仕事を干された。実は貯金もない。」と相談してきたらどう対応するのだろうか。
 
そのときに岡村さんに対して「あなたが悪いんだから」と言うのだろうか。

しかし,社会福祉士が守るべき原則としては「非審判的態度の原則」というものがある。社会福祉士が人を裁いては(審判しては)いけないというものだ。藤田さんの岡村さんに対する叩き方は,この原則との関係でも社会福祉士の行動としては不適切である。

一人の社会福祉士としても,藤田さんの投稿は「社会福祉士というのは善悪を押しつけてくる存在なのか。あんまり安心して相談できないな。」という印象を与えるものだと感じている。

ただでさえ,専門職に相談するのは勇気がいる行動だ。専門職としての社会福祉士がアピールすべきは,困ったときに安心して相談できる存在だということである。逆に「この人怖いな」と思わせてどうするのだろうか。

◆◆◆

ところで,藤田さんは,今回の一連の騒動により多くの敵を作った。藤田さん自身自覚していると思うが,一連の騒動により,藤田さんに対する批判(のみならず誹謗,中傷)が相当寄せられているはずだ。特に,Twitterはかなりの惨状となっている。

誹謗中傷については,その内容が藤田さんひいては福祉職に対する信頼を著しく低下させかねないものが含まれている(その内容が真実かどうかについて,私は知らない)。それが真実でなくとも,誹謗中傷の内容としてネットに転がっているものを見れば福祉職を信用できなくなるおそれはかなり高い。
 
もちろん,根拠のない誹謗中傷をする者が悪い,というのが藤田さんの言い分だろう。それはそのとおりだと思う。

だが,善悪の問題は別として,人間というのは「強く攻撃されたら反撃する」生き物なのだ。

岡村隆史と言えば,知らぬ人は殆どいない人気芸人だ。
問題発言がなされた深夜ラジオのファンも多かっただろう。

岡村隆史氏について(謝罪があったあとでさえ)執拗な攻撃がなされ,また,番組降板を含めた処分まで要求される,ということになると,岡村隆史に好意を抱く人間が「反撃をする」のは想定の範囲内の行動といえる。

この反撃(誹謗中傷)によって自身の名誉(あるいは福祉職全体の名誉)が傷つくことは,藤田さんとしても避けたかったはずだ。

貧困女性に寄り添う発言をするのはよいとしても,世間から反撃を招く程度に岡村隆史氏個人を攻撃し続けるのは完全に悪手だったのではないか。

◆◆◆

また,社会福祉士としては残念な状況であるが,率直にいって,今の世の中で福祉の充実に関心を持つ人間は圧倒的に少数派である。そのことは藤田さん自身も実感しているはずだ。

福祉の充実(例えば貧困の救済)を図るには,世間を味方につける必要がある。

建前としては「少数派も救われる必要がある」のだが,現実に国や地方公共団体を動かし,福祉政策を充実させるには,多くの声が必要なのである。

その観点からも,社会福祉士としては,できる限り敵を作らずに,多くの人の共感を集めるメッセージを送る必要があると思う。「人気芸人」を叩き続ける手法がその方向性と真逆であることは明らかである。

◆◆◆

さらに,別の観点からも藤田さんのアプローチには問題があると思う。
 
社会福祉士が持つべき人間観として「人間は失敗する生き物であり,失敗してもやり直せる社会が望ましい」というものがある。藤田さんもこの理念には異論を唱えないはずだ。
 
岡村隆史の発言に異論を唱えるのは構わない。確かに問題の多い発言だと,私も思う。
 
しかし,それを徹底的に糾弾し,仕事の降板まで求めるのは,「失敗したらそれくらいの社会的不利益を負って当然だ」というメッセージを社会に与えることになる。

もちろん,そういう見解があっても構わない。
しかし,困った人を助けることを基本的な責務とする社会福祉士がそのようなメッセージを発してはならないと思う。

社会福祉士がとるべき基本的な態度は「受容」である。
つまり,「受け入れる」ということである。
 
もちろん,不適切な発言を不適切であると指摘することは何ら問題のない行動である。しかし,岡村隆史氏が謝罪をすれば,それを「受け入れる」べきではないか。
 
少なくとも,私は,いち個人が真摯に謝罪してもそれを受け入れない社会福祉士に困りごとを相談したいとは思わない。

◆◆◆

では,社会福祉士としては,今回の岡村発言にどう向き合うべきだったのか。

まず,岡村発言について,それを「許されないことである」と表明することは問題がないと思う。ただし,藤田さんの意見の表明は性産業に従事する者の「代弁」としての性質を持つから,肝心の当事者が藤田さんの「代弁」をどのように感じるかについては十分に注意を払うべきであった。

次に,許されないことであると代弁するときに,岡村隆史氏個人に対する批判のニュアンスが強く出過ぎないように注意をすべきであった。

岡村隆史氏個人を批判しても問題は解決されないし,むしろ敵を作るだけだからである。少なくとも,あの投稿(記事の内容)は,多くの岡村隆史ファンから反感を買うだけだ。藤田さんの届けたいメッセージの殆どは,それを本当に理解させなければならない層に届いていないであろう。

さらに,社会福祉士としては,岡村隆史氏個人を批判するのではなく,その発言のどの部分がなぜ問題なのかを性産業の歴史にも踏み込んだ上で丁寧に説明すべきである(私は,現時点でそのような説明する能力を持ち合わせていないが,藤田さんはきっとできるだろう)。そうしないと,多くの読み手には,本当の意味で「なぜあの発言が問題なのか」は伝わらない。

少なくとも,それを理解する上で有益な書籍を紹介するなどのアクションはしてもよかったのではないか。例えば,
「身体を売る彼女たち」の事情-自立と依存の性風俗
(坂爪真吾さん著)
のような書籍は多くの方に知られてもよいのではないかと思う。

また,現状を改善するために,記事の読み手(国の政策に関わる者も含む)がどのようなアクションをとるべきなのかを具体的に提言すべきである。

「岡村隆史は許されない。卑劣だ」と言うだけでは,読み手は「So what?」と感じるだけである。あの記事は単に「怒り」しか伝わってこない。そして,「怒り」は具体的な問題解決に寄与しない。

もちろん,岡村発言に直接関わる「当事者」は怒ってもいい。
だが第三者である社会福祉士は別だ。
社会福祉士の仕事は問題解決業であることを忘れてはいけない。ただ怒りを垂れ流すだけでは,私はプロとは言えないと思う。

 
◆◆◆

以上が後輩社会福祉士からの提言である。
藤田さんからは一蹴されるかもしれないが,それでも構わない。

私は,この記事を書くことが社会福祉士としての責務だと思って書いているのだ。

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2020.5.5 社会福祉士 かんねこ

 
 
 
 
 

 

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